【光石研のバイプレラジオ】クレイジーケンバンド横山剣とは、クールス時代からの盟友。ダブルジョイレコーズ代表取締役・萩野知明<後編>

  • 編集:穂上愛
  • 司会&写真:佐野慎吾
  • ジングル:mantaschool

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俳優・光石研によるPenのポッドキャスト番組がスタート。その名も「光石研のバイプレラジオ」。名バイプレーヤー光石研が、各界の名バイプレーヤーたちを訪ね、インタビューします。

記念すべき第一回目のゲストは、萩野知明さん。1981年、伝説的な日本のロックバンド「クールス」に横山剣さんと同時期に加入し、ベースを担当。光石さんが大ファンの「クレイジーケンバンド」が所属する「ダブルジョイレコーズ」の代表取締役を務めています。

「クールス」時代の2人のお話や、初期「クレイジーケンバンド」のお話などなど、光石さんが聞きたかったあれこれをトークします。

萩野知明(はぎの・ともあき)
1959年、東京都生まれ。クレイジーケンバンド・横山剣が主宰するプロダクション/インディーズ・レーベル「ダブルジョイレコーズ」代表取締役。

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最初の出会い

光石:『不貞の季節』っていう、廣木隆一監督の映画があったんすけど、多分2000年か、その前の年だったかにイベントがあって。大杉漣さんと田口トモロヲさんが主に出て、大杉漣さんは弾き語り、フォークで、トモロヲさんはバンド「ばちかぶり」で。大森南朋ちゃんは大森南朋ちゃんで。そういう役者がいっぱい、バイプレイヤーの役者をいっぱい呼ぼうぜって大杉さんが声かけてくださって。

それで、大森南朋さんとかもバンドで出るっていうことになって。色々みんなイベントのときになにかやるからって、僕にも「研ちゃんもやる?」って言われて。パッとなぜだか、「クレイジーケンバンドさん歌いたい」ってなって。それで「やります!」ってカラオケでちょっとやりますからって言って。当初はカラオケを、作ろうとしたんですよ、このCDから。友達に頼んで。

萩野:ええ。

光石:だけど素人だから、全然できなくて。歪んだ、ボーカルだけがちょっと薄く聞こえるようなCDが出来上がってきて。こんなのじゃできないなと思って。でも日にちは迫るし、「どうしよう、どうしよう」と思ってるときに、思い切って、萩野さんとこにお電話差し上げたんすよ。僕が。
それで「じつはこれこれこうで、僕、こういうものです」って言って。「僕、大ファンで、こういうイベントがあって」って。「この曲とこの曲とこの曲を、もしできたらCD作っていただけませんか」って言ったら、「いいですよ」っておっしゃってくださって。

萩野:ええ。

光石:それで、初台の駅前でしたっけ?

萩野:笹塚ですね。

光石:笹塚の駅前で、改札で待ち合わせて。(萩野さんを見つけて)「トニー萩野だ!」って思ったけど、「すいません、ありがとうございます」って。作っていただいたんですよね。

萩野:あのときって、「踊り子」と……。

光石:「踊り子」と「右手のあいつ」と「た・す・け・て」。この3曲を作っていただいたんですけど、歌ったのは「踊り子」と、「右手のあいつ」。

萩野:(歌っているときの光石さんを見て)びっくりしちゃった。最初の印象と全然違うから(笑)。

——最初の印象っていうのは?

萩野: CDを渡したときは、すごく真面目な方で恐縮されている感じがすごくあってね。(光石さんが)ステージに上がったら、「うわー、すげー」てっていう。なんかはっちゃけた感じで。

光石:面白かったですよ。どこかに(ライブ時の)DVD残ってるんですけどね。事務所探せば。

萩野:そのときのライブの?

光石:そのときのライブの。それで、ライブに(萩野さんに)来ていただいたんですよ。あんなもう、もうぐちゃぐちゃの中に。

萩野:そうでしたね、すごい人でしたよね。

光石:それだけじゃなくて、本当、いろんな役者さんが裏に来てくれて。それこそ松重(豊)さんも来たり、田中哲司さんも来たりして。あの辺の役者さんが、いっぱい来てたんです。(萩野さんにも)わざわざ来ていただいて。

萩野:こっそり行かしていただいて。

光石:いやぁ、すごく嬉しかった。

<続きはポッドキャストで!>

光石研のバイプレラジオ

光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。

光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。