呑んべえ注目の大井町にコの字酒場が帰ってきた、大衆酒場こいさご。

  • 文:森一起

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まさに大衆酒場を体現するような、紺地に白の暖簾。近年の若い酒場のような過度な主張もなく、名だたる古典酒場に敬意を表した凛とした佇まいだ。

先日,他界したゴダールと共にヌーヴェルバーグの創始者となったフランソワ・トリュフォーは、サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックのカットと精神を学ぶことからスタートした。エリック・クラプトンやジミー・ペイジら、英国のギターキッズたちのスタートは、黒人たちのブルースのフレーズを徹底的にコピーすることから始まった。

偉大なる先達たちに対するオマージュは、酒場の世界でもいくつもの物語を生み出している。著名なもつ焼きブロガーだった店主による脱サラの奇跡「秋元屋」はたくさんの優秀な卒業生を生み出して、東京のレジェンドになった。

飲み屋帝国、武蔵小山に新しい客を呼び起こした「豚星」の物語も、多くの名酒場と優れた焼き手に向けた熱い視線から始まった。

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店の真ん中には、大きなコの字カウンターを作る。その思いだけは、最初から決まっていた。理想のコの字の真ん中に座る店主には、早くもベテランの雰囲気さえ漂う。

今、多くの名酒場に寄せる真摯なオマージュが新しい奇跡を生み出そうとしている。大井町の住宅街に誕生した令和のコの字酒場、「こいさご」だ。

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東京の下町ではポピュラーなキンミヤ焼酎は、もともと三重・鈴鹿のメーカー。どんな割材にも、アテにも合う癖のない味わいが広く愛されている。

キンミヤ焼酎、赤星ことサッポロラガー、強炭酸で作られる各種のサワー、ホッピーやバイスなどの割り材。店に入ると、大衆酒場好きの心をくすぐるドリンクの名前が一斉に目に飛び込んでくる。店内には、ニットク製のマルチサーバーが設置されていて、そこから生ビールやキンミヤをベースにした酎ハイのベースが注がれる。生ビールは350円、酎ハイは250円、もしかしたら近隣の立ち飲みより安いかもしれない。

ガス圧高めのキリッとした酎ハイには、酒場の主役、揚げ物のバラエティが待ち受けている。九州では定番ながら関東では見かけることが少ない、とり天が用意されているのも呑んべえ心をくすぐる。ハイボールは角ではなく陸、キリン製のほんのり甘い御殿場蒸溜所育ちの国産ウイスキーだ。

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千葉県・茨城県で飼養されている地養鳥を使ったとり天は、シャキシャキとした歯応えと噛むほどに流れ出す滋味にに酎ハイがどんどん進む。

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居酒屋の定番冷やしトマトばかりでなく、トマト天が用意されているのも嬉しい。アテの定番、揚げ物、されどリコピン。呑んべえの気持ちを妙に誘う一品。

定番料理は、壁にずらりと貼られた短冊から自由に選ぶ。煮込みや煮豆腐から始まって刺身類、各種の揚げ物、一品料理、焼売や豚足まで揃っている。しかも、そのほかにも本日おすすめのホワイトボードさえある。素晴らしいのは、そのすべてが呑んべえ心をくすぐる酒と料理ばかりだと言うこと。これは、つまり店主のワタさんこと綿貫(和人)さん自身が飛び切りの呑んべえだからに違いない。

三人兄弟の長男だったワタさんは、昨年までごく普通の会社員、営業担当だった。趣味は大衆酒場、休日には昼酒からスタートして、好きな酒場を飲み歩いた。長年の夢だった酒場の開業を思い立った時、弟たちが働く大井町で物件を探し始める。彼らは飲食店の経験があったし、土地勘があり、仕入れルートの確保にも繋がった。

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辛子をたっぷり付けた煮豆腐も、呑んべえにはたまらないアテのひとつ。ここまで味が沁みていれば、あとは酎ハイでも、日本酒でも、酒泥棒だ。
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じっくり煮込まれた卵と大根、コの字カウンターの中の大鍋で煮込まれているこのヴィジュアルを見て、誘惑に負けない輩に呑んべえの資格はない。

三人兄弟が働く酒場だから、店名は父親の故郷、栃木県小砂村(現那珂川町)からネーミングした。根っからの大衆酒場好きが、有り余るオマージュを詰め込んだ理想の酒場のスタートだ。

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タコにイカに鰯、小さなポーションで少しずつ季節の刺身を食べられるのも、こいさごならではの嬉しい心遣い。刺身から揚げ物まで、欲しいアテはまず全部揃っている。

真新しいコの字に座ってみると、カウンターと椅子の高さのバランスが心地いい。客の回転を良くするために、意図して落ち着かないバランスを作り出すことさえあるチェーン店系の酒場とは明らかに違う客たちへの愛に溢れている。思えば、いつの頃からか大井町には落ち着いて座って飲める個人経営の大衆酒場がなくなっていた。こいさごは、まさに呑んべえたちが待ち望んだ大衆酒場だ。

野菜も魚も、四季折々の食材をたくさん用意する。メニューが多いのは、できるだけ通って欲しいからだ。だから、家飲みと変わらない価格帯を意識した。他の店に週に1回しか行けなくても、ここなら週3回、毎日だって通うことができる。それは、かつてワタさん自身が望んだ呑んべえの本音の優しい具現化に違いない。

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新鮮な刺身のすべてが300円から400円代。本まぐろですら450円という驚異のこいさごプライスには、頭が下がる思いしかない。

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呑んべえの酒都立石辺りでは、モツに合わせてタカラが合わせられる。しかし、大井町ではマイルドなキンミヤ、梅エキスも違う。しかし、よく見ると量はこちらが多いかもしれない。

梅割りがちゃんと用意されているのも、店主の大衆酒場好きオマージュだ。ただし、オリジナルのタカラ焼酎+天羽の梅ではなく、ここではキンミヤ焼酎+梅の香ゴールド。少しずつ発揮される、こいさごオリジナルのさじ加減も楽しい。梅割りと来たら煮込み、おや、ガツ刺しもある。豚足と梅割りの組み合わせは、東京ではなかなかお目にかかれない。

「なんでもない」ということが最良の賞賛に変わる場所が、ここ「こいさご」だ。気取らず、懐具合を気にせず、リラックスして飲む。大衆酒場にとって、他に必要なことなんてあるのだろうか。

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ガツ刺や豚足などがしっかり用意されているのも嬉しい。むしろボイルされたガツには、こちらの梅割りの方が向いているかもしれない。

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メンチ、ハムカツ、ポテトサラダ、塩辛に梅水晶と、およそ大衆酒場のアテなら何でも揃う。恐るべきメニューの豊富さに驚かされる。

今にも駆け出していきそうな、カリカリに炒められたタコさんウインナー。オムレツみたいなニラ玉、おでん屋よりも味が沁みた大根や玉子、豆腐。カウンター下のボトル棚はキンミヤの水色で満たされている。こんな光景は、北千住の名酒場「大はし」や「藤や」でしか見たことはない。七夕にオープンして、わずか数ヶ月で、14時の開店時には待ちの行列ができるようになった。もはや、近隣の立ち飲み「SAMI」と共に大井町の人気店の仲間入りだ。

口開けと同時に「こいさご」に行って、16時になったら「SAMI」、その後「もばら」か「そのだ」で鳥を堪能して、最後は「ガティート」の上質なテキーラ。途中、「お風呂の王様」を挟んで英気を蓄えてもいい。大井町はいつの間にか、東京に名だたる呑んべえたちのホッピングストリートになった。

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ニラ玉を頼むと、オムレツのような形でちょいと得したような気分になる。そんな子どもっぽい呑んべえハートをしっかり掴むアテの数々についつい酒が進みすぎ。ま、安いし。

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1人飲みで訪れたお客さんたちも、いつの間にか打ち解けてしまう。そんなフレンドリーさがコの字酒場ならでは。日々の慰安はすべて、この酒場の中にある。

大井町には北側に古くからの飲み屋街である東小路があり、有名な肉屋の立ち飲み「まえかわ」もある。こいさごはその反対側、東京品川病院、昔の東芝病院の近くにある。偶然、通りがかった人は、まず飛び込みで入らないだろう。

しかし、そのある意味での見つけにくさは繁盛する名酒場のひとつの条件だ。来て欲しい客たちは、見つけ出してもわざわざ来てくれるはずだ。それに近くには、もばらもSAMIもガティートもある。「二郎」と「さぶちゃん」両店に師事した奇跡のラーメン店「のスた」だってある。

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常時90種以上のメニュー、家飲みと変わらない価格設定、一人呑みにも優しい小さなポーション、豊富なドリンク。紺色の「こいさご」の暖簾は、やがて大井町の老舗になるだろう。そして、いつまでも愛されるに違いない。

『大衆酒場こいさご大井町本店』

東京都品川区東大井6-1-7
instagram:koisago_ooimachi

14:00〜23:00 水曜・土曜定休

森 一起

文筆家

コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。

森 一起

文筆家

コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。