「ジャンル分け」に対する違和感【はみだす大人の処世術#39】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之
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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第39回のキーワードは「ジャンル分け」。

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「きのこの山」と「たけのこの里」のどっちが好きか、という論争がある。その論争自体は、本当につまらないと思っているのでどうでもいいのだが、昔からずっと論争以前の段階で気になっていることがある。「きのこの山」と「たけのこの里」。このふたつが、対照形になっていないのだ。「きのこ」はある種の菌類の総称である。一方で「たけのこ」はイネ科タケ亜科タケ類の、若芽の部分を指したものである。「きのこ」と「たけのこ」を音楽に置き換えるなら、「ジャズ」「『IRIS OUT』のBメロ」みたいな違いで、そもそも比較するのが間違っている。

もっというと、「山」と「里」もまったく揃っていない。「山」は特定の地形のことで、「里」は集落の呼び方だ。「きのこの山」と「たけのこの里」はあらゆる観点から集合の次元が違っているので、比較すること自体に違和感がある。どうして類似の商品に、こんなバラバラの次元で命名をしたのか、と命名者に腹が立ってくる。「きのこの山」のライバル商品は、「種子植物の扇状地」とかにしてほしい。それなら気持ちがいい。

さっき、「きのこの山」と「たけのこの里」の違いを表現するために音楽のたとえを使ったが、そもそも音楽のジャンル分けも納得がいっていない。音楽はJ-POP、ロック、ヒップホップ、ジャズ、EDM、アニソンなどと分類されているが、この分け方も基準が揃っていないのだ。「J-POP」とは、日本で制作されたポピュラー音楽のことだ。ポピュラー音楽とは、大衆に訴求力のある音楽のことなので、「POP」かどうかは音楽を聴いた大衆が決定する。「ロック」は「ロック・アンド・ロール」つまり「ゆれて転がる」という意味のスラングが由来で、カントリーミュージックとブルースが合流したものとも呼ばれている。「ロック」の説明にはしばしば「ポピュラー音楽の主流」と書かれていたりして、つまり「ロック」は「POP」の部分集合でもある。「アニソン」にいたっては、その楽曲がアニメに使用されたという恣意的な定義なのだ。つまり、理論上は「POP」かつ「ロック」かつ「アニソン」もあり得る。というか、そういう曲はたくさん存在しているだろう。ジャンルを分けるのならば、定量化できる統一した基準で決めてほしい。

と、お菓子や音楽に散々文句を言ったが、小説のジャンル分けも意味不明だ。純文学、SF、ミステリー、時代小説など。純文学を定義しようとすると、いろんな人から文句が出てきてしまうのだが、掲載媒体によって決められている部分が大きい。『文學界』、『群像』、『新潮』、『すばる』、『文藝』の5つの雑誌が五大文芸誌と呼ばれていて、そこに掲載された小説は基本的に「純文学」と呼ばれている。「SF」とは、タイムマシンや遺伝子改変技術、AIに統治された社会や、恒星間宇宙飛行船など、作品の設定やガジェットによって決められるジャンルだ。「ミステリー」は物語で謎が提示され、それが論理的に解決される、という作品の構造によって決められるジャンルで、「時代小説」は戦国時代や江戸時代など、作中の時間軸によって決まるジャンルだ。これらも基準が揃ってなくて気持ちが悪い。理論上は「純文学」かつ「SF」かつ「ミステリー」かつ「時代小説」もあり得る。

「さまざまなジャンルで活躍中」と紹介される人も、さまざまな能力を持っているわけではなくて、世の中のジャンル分けが意味を成してないせいで、ひとつの能力がたまたまさまざまなジャンルに適用できるだけであることが多いように思う。自分の特技がほかのジャンルに応用できないか、考えてみるのもいいだろう。

小川 哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『火星の女王』(早川書房)がある。

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