登山家・野口健が「あいち2022」連携企画で学ぶ、ものづくりとテクノロジーの最新動向

  • 写真:宇田川淳
  • 文:篠田哲生

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デジタル分野における飛躍的な進化は、とどまるところを知らない。「あいち2022」連携企画の展示を通して、野口健がテクノロジーの未来を見た。

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愛知県・常滑市で行われるインスタレーションを眺める野口。ここで提示されたものづくりの新たな手法は、彼の目に新鮮に映った。

オブジェのような3階建て木造建築は、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH チューリヒ)のグラマツィオ・コーラー研究室が試みる新しい建築。コンピューター制御の工作ロボットにより製作された建物は、コンピュテーショナル・デザインやデジタル・ファブリケーション研究の第一人者である小渕祐介が手がける建築とともに、国際芸術祭「あいち2022」連携企画事業でインスタレーションとして展示されている。

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スイス連邦工科大学 チューリヒ校のパビリオン。1000を超える木製のエレメントは、すべてロボットによって製作。斜めに組み上げる構造により強度を高め、複雑なキャンティレバー構造を実現している。
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左:建物のかたわらで語り合う野口と小渕。ふたりがこれだけ小さく見えるのだから、建物全体の大きさもよくわかる。建物は実際に人が腰掛けられる強度をもち、床や天井、壁を張れば住居として使用できそうだ。 右:木材同士の接合も木材で行う。乾燥によって収縮させた木製のピンを穴に打ち込む。その後、湿気でピンが膨らむことで、エレメントが固定される。

展示を主催する組織のひとつであるグラマツィオ・コーラー研究室は取り組みをこう語っている。

「建設業はいまでも近代主義的な発想と工業化の論理に従っています。しかし、原料の消費量削減を含め、さまざまな面でデジタル技術の恩恵を享受できる時代が、すぐそこまで来ています。コンピュテーショナル・デザインやロボット工学などにより、建築環境は圧倒的に向上するでしょう。スイスと日本はともに優れた工芸を育成し、デジタルテクノロジーの開発に秀でています。一方で、両国の建築文化は大きく異なります。工芸や製造の垣根を超え、両国の生産的な交流を促進する理想的な場をつくることで、相互に刺激を与え合うことができるのです」

今回、環境活動家としての顔ももつ世界的な登山家の野口健が会場を訪れ、小渕に製作の背景にあるストーリーを訊いた。

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デジタルの力が、ものづくりへの参加を促す

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東京大学のパビリオン。左:来場者を出迎えるのは、木製の柱と梁でつくられた門のような構造体。暖簾のようにつながれた常滑焼の陶器のロープが、合計45本吊るされている。 右:梁に設置したミストノズルから陶器へと噴出したミストが気化する際に、蒸散冷却効果によって門の周囲は4~5℃ほど気温が下がり、涼しくなる。

野口 なんとも凄い建物ですね。

小渕 ETH チューリヒのプロジェクトは、ものづくりをすべてデジタル化し、産業ロボットが製作を担う「デジタル・ファブリケーション」により、効率や生産性がいかに上がるかを探る研究です。

野口 デジタルなどの先端技術が建築に入っていくことは、高齢化が進み徐々に労働力人口が少なくなっていく日本には必要かもしれませんね。しかし将来、職人さんは不要になっていくのですか?

小渕 機械で全部やればよいということではなく、むしろ生産性を高めることで安く提供し、その分、生活を豊かにしようという考え方です。大量生産社会が進むと、みんなが同じものを所有するつまらない社会になってしまう。むしろ生産性を上げることで、個別に違うものをつくっていくのです。

野口 個別にものをつくると、普通はコストが高くなりますよね。

小渕 マスプロダクション(大量生産)ではなく、“マスカスタマイゼーション”。大量生産時代の前は、一品生産の伝統工芸の世界でしたが、近代社会では経済的に成立しない。しかしデジタルテクノロジーを使えば、一人ひとり個別のオーダーに対応しても低コストで生産ができるようになる。

野口 大量生産じゃないのに、低コストというのは面白い流れですね。3Dプリンターのようなデジタルテクノロジーを、建築やものづくりに取り入れるのですね。

小渕 ETH チューリヒはできるだけロボットを活用しながら、新しい表現方法やものの価値を追求します。一方、我々東大のプロジェクトでも、コンピューターやロボットは使いますが、環境や素材、そして人々がどのように関われるのかを考える。デジタルテクノロジーの力によって、専門教育を受けていない人でも建築に参加できるようにしていきたい。言うなれば“建築の民主化”ですね。

野口 それが先ほどの体験に関係するのですかね。僕も不思議なグローブを着けて、長いロープを持ち上げました。

小渕 子どもたちが建築に参加できる方法はないだろうかと考えた時に、日本には尺貫法というのがあると気がつきました。両腕を伸ばした長さを一間とするように、身体の寸法で建築をつくってきた歴史を踏まえて、現実世界の身体の寸法に合わせてなにかつくってみようと考えました。ロープを両手で持つと、垂れ下がってU字型になりますよね。幾何学的にはカテナリー曲線(懸垂線)といって、橋などの構造にも使われるいちばん安定したかたちなんです。ロープは持つ人の身長や筋力などに合わせて、さまざまなカテナリー曲線になります。そこでデジタルグローブを使って手の位置を計測し、ロープの長さと組み合わせて、それぞれの人のカテナリー曲線をデータ化しました。

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左:常滑焼に通したロープは、数種の長さが用意された。今回のプロジェクトには老若男女20名が参加し、デジタルグローブを着用してロープを持ち上げ、個々に異なるカテナリー曲線をつくり出した。野口もチャレンジしたが、かなりの長さがあって重かったため、縦長の曲線となった。 右:写真のデジタルグローブにより手の位置情報を読み取り、データ化。誰でも建築に参加できるという試みだ。

野口 さきほどの行為で僕も作品に参加していたんですね。そうすると、この門のような構造物の“暖簾”は、参加者全員がつくり上げたかたちですね。配置はコンピューターが決めているのですか?

小渕 梁(はり)は幅が50㎝で、長さが4m。ここに数十個の暖簾を吊るしますが、特定の場所にたくさん穴を開けると梁が壊れるので、特定のルールをもとに、コンピューターに穴の位置を探してもらい、工作ロボットが穴を開ける。

野口 こういうかたちで建築に参加できるのは面白いですね。

小渕 ただ与えられたものを消費するのではなく、自分がそこに参加すれば、価値が加わり愛着が湧く。それこそが、サステイナブルの本質ではないでしょうか。

野口 確かに参加することは愛着につながりますね。僕の自宅は300年前に建てられた古民家でずっと使われていませんでしたが、この空間を自分なりに染めていけば生き返ると思った。さらにその300年の歴史をまた誰かに渡したいと考えたんです。2年間ずっとあちこちを直しながら暮らしていますが、すごく面白い経験です。

小渕 ヨーロッパは規制があり住居の外見を変えるのが難しい一方で、内装の変更はかなり自由で、ペンキを塗ることもできます。でも日本に来たら画鋲さえもダメと言われる。日本では住むところを自分で演出できないんですよね。

野口 海外でホームパーティに呼ばれると、インテリアに家族の物語が見えてくる。日本は生活感があるのに“世界観”がない。どういう空間でも、自分が参加しないと愛着は湧いてきません。

小渕 僕の研究は、いわばカーナビのようなもの。ルートから外れても、その都度ガイドしてくれるので迷子にはならない。あくまでも行動の主体は人間ですが、コンピューターがアドバイスや指示を与えてくれるので、最終的に狙ったところに着地できるのです。

野口 そうすれば多くの人々が参加でき、愛着が深まっていく。

小渕 それが、サステイナブルな世界を築くのです。

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左:野口 健●登山家。1973年、アメリカ・ボストン生まれ。99年にエベレストに登頂。当時の最年少記録となる25歳で7大陸最高峰登頂を達成。山のゴミ問題を解決するための清掃登山活動を精力的に行う一方、シェルパ子女への教育援助やネパールでの学校づくりなど、社会貢献活動を行う。 右:小渕祐介●1969年、千葉県生まれ。専門は建築設計・コンピュテーショナル・デザイン。2010年より東京大学准教授。先端のコンピュテーショナル・デザインを日本に導入し、プログラミングや3Dモデリングを駆使したものづくりを行うデジタル・ファブリケーションを研究する。

Kizuki-au 築き合う─Collaborative Constructions

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© Niwashōten Co.Ltd.

10月10日まで、名古屋市を中心に開催されている国際芸術祭「あいち2022」の連携企画事業として行われているのが、今回紹介するスイスと日本の協働プロジェクト「Kizuki-au 築き合う─ Collaborative Constructions」。それぞれのプロジェクトは、人とロボットの協働作業によって製作されており、新しい建築の在り方を表現する。会場は「常滑やきもの散歩道」内の一菁陶園(いっせいとうえん)の近く。常滑駅からも徒歩圏内で、古い陶器工房が立ち並ぶエリア。ゆっくり散策しながら会場を目指してほしい。予約不要、入場無料。https://vitality.swiss/jp

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機械化と職人技の融合で生まれた、深く愛着が湧く複雑機構モデル

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ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー 42。スリムなベゼル、端麗なケース、視認性の高いアラビア数字が特徴の「ポルトギーゼ」の永久カレンダーモデル。左は白文字盤、右はグリーン文字盤。自動巻き、SS、ケース径42.4㎜、パワーリザーブ約60時間、シースルーバック、アリゲーターストラップ、3気圧防水。各¥2,827,000(2022年9月1日より¥3,162,500)  

愛着あるものを長く使い続けるという点においては、定期的にメンテナンスを行うことで、世代を超えて使い続けられる高級機械式時計もまた、サステイナブルな製品と言えるだろう。

スイスの時計業界は“伝統”を守ることを強く意識している一方で、既にカジュアルウォッチなどでは完全オートメーションの機械式時計製造技術の開発が進んでおり、人間とコンピューター、ロボットによる新たな協働関係が出来上がりつつある。

もちろん高級時計では、熟練職人の手技に頼る部分がいまでも大きい。しかし、適切な機械化によってパーツ品質が向上するなどメリットは大きく、また職人が手をかけるべきところが明確になり、美的表現や複雑機構の熟成も進む。

こういった機械化と伝統的な職人技の融合を、いち早く取り入れたのがIWCである。この時計ブランドは、アメリカ人時計技師のフロレンタイン・アリオスト・ジョーンズが、アメリカの工業的スキームにスイスの時計職人たちの技術を組み合わせて1868年に創業した。ライン川の水力発電によって安定した電力供給が可能だったスイス北部の街シャフハウゼンを拠点とし、機械化による安定した品質に、知識と経験が求められる伝統的な時計技術を加えるという、画期的なアプローチで高い評価を得てきた。

特にIWCでは複雑機構を搭載したハイエンドモデルで、そのアプローチが効果を発揮している。たとえば「ポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー 42」は、閏年(うるうどし)の有無まで把握している永久カレンダー機構を搭載するが、高度で精巧な機構を簡略化してパーツを減らしているので、組み立てが容易になり、故障も少ないというメリットを兼ね備えている。

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左:搭載するムーブメントは、自社製のCal.82650。ペルラージュやコート・ド・ジュネーブといった手作業による仕上げが施されており、眺めるだけでも楽しい。 右:3時位置に日付、9時位置には曜日と小窓で閏年表示、そして6時位置には月とムーンフェイズをバランスよく配置している。ポルトギーゼらしい“間”を活かしたダイヤルデザインで、サンレイ仕上げによって生じるグリーンの濃淡が美しく表現される。

その一方で、ケースのやわらかなカーブやダイヤルの表現などは、人の手からしか生まれない。さらにはチクタクという音に耳を傾けたり、自動巻きローターがぐるぐると回転する振動を手首で感じたりといった身体経験を通じて温かみを感じ、定期的なメンテナンスによって手をかけることで、時計が自分の“分身”となり、深い愛着につながるはずだ。

IWCは今回、スイスと日本両国による協働プロジェクト、「Kizuki-au 築き合う─Collaborative Constructions」に協賛することで、先進的な機械化と伝統的な職人技の融合を推進してきた歴史に再び光を当てている。また、IWCはパーツをつくり続け、永久保障を約束する数少ないブランドでもある。数百年先まで正確に動き続ける時計に対してきちんと手をかけ、愛情を注ぎながら時を重ねていくことは、未来を見据え、サステイナブルな感性を磨くことにつながるだろう。

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IWCが取り組む、サステイナブルな活動

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© Christina Falkenberg/Westend61/amanaimages

長く使える製品をつくるIWCは、素材においてもサステイナビリティを高めている。ひとつは新しいストラップ素材で、石油化学製品やプラスチックを含まない革新的な素材「ミラテックス」を開発。これは、“ミラクル”と“テキスタイル”からなる造語で、植物と鉱物でつくられているため製造時の環境負荷が少ない。もちろんヴィンテージウォッチを含むすべてのモデルにおいての生涯にわたる修理、リサイクルされたスチールやゴールド素材の使用、パッケージの再利用なども徹底。2022年からは環境・コミュニティプロジェクトアンバサダーとして、スーパーモデルのジゼル・ブンチェンを起用し、世界規模でサステイナブル活動を広げる。

問い合わせ先/IWC TEL:0120-05-1868 www.iwc.com/ja/