超定番品「チノパン」のルーツは、アメリカ軍の制服だった

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一

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「EARLY MILITARY CHINOS」シリーズの「1945 MODEL」というチノパン。シンプルなプレーンフロントで、ポケットは斜めのスラッシュタイプ。45年型らしく、ウエストや太股部分などの縫製を「割り縫い」と呼ばれる戦中当時ならではの仕様にするというこだわりよう。素材は「ウエストポイントツイル」と呼ばれるコットン100%の綾織。色はベージュとキャメルの2色展開。各¥15,180/バズリクソンズ

「大人の名品図鑑」チノパン編 #1

メンズファッションにおいて、ジーンズと並ぶ定番パンツと言われるチノパン。もともとは軍用としてつくられたという確かなルーツと歴史をもつアイテムだが、トレンドに流されず通年で使え、カジュアルでもビジネスでも幅広く使える万能さが魅力だ。今回はチノパンの名品について紹介する。

チノパンとは「チノクロス」と呼ばれる、綾織のコットン生地でつくられたパンツのことだ。チノパン、あるいはチノパンツというのは和製英語で、アメリカなどでは「チノーズ」とか「チーノーズ」と呼ばれてきたが、最近ではジーンズを「デニム」、スウェットパーカを「フーディ」と呼ぶように、「カーキ(kahki)」あるいは複数形で「カーキーズ(kahkis)」と呼ぶこともある。

しかし本来「カーキ」とは色の名前。ヒンドゥー語で「埃」「泥」を意味する「khak」から転じて薄い茶褐色を指す言葉になったが、本来はペルシャ語だったとも聞く。

現在多くの人にはかれているチノパンは、アメリカで軍服として製作されたパンツがルーツと言われている。ではそのチノパンはいつごろつくられたものだろうか? 歴史をひも解くと、チノパンの元になるコットン素材をアメリカ軍が手にしたのは、1898年と言われている。この年、スペインとの戦争に勝ったアメリカがそれまでスペイン領だったフィリピンを統治することになり、フィリピンに駐留する陸軍の制服用の生地としてアメリカ軍がカーキ色の生地を入手して軍服にしたという。

『MEN’S FASHION BIBLE ——男の定番51アイテム』(ジョシュ・シムズ著 青幻舎)によれば、アメリカ海軍でも1912年にチノパンを制服として正式採用、31年からは潜水艦のクルーも着用し始め、その10年後の第二次世界大戦中、「カーキパンツが基地勤務の幹部用制服となり、1941年末には上陸許可期間中の着用も認められた」と書かれている。

実はこの41年という年がチノパン誕生には重要だ。ナチスの台頭によりヨーロッパで戦争が始まると、アメリカ軍も機能的な軍服を求めざるを得ない状況になり、開発に着手。何度も改良を重ね41年に完成したのが、「M41」と呼ばれる戦闘服だ。上着は世界初のブルゾン型で、パンツはそれまで陸軍で採用されていた乗馬ズボン型に代わって、現在のパンツに近いデザインになった。素材はカリフォルニアコットンをカーキ色に染めたもので、シンプルなプレーンフロント。このパンツは現在では「41カーキ」と呼ばれ、マニア垂涎のアイテム。その後通称「43カーキ」「45カーキ」といった、微妙にディテールや縫製仕様などが変更された数々のモデルが製造され、軍隊へと大量に送られた。

そして第二次世界大戦が終わると、故郷に復員したGIたちによって持ち帰られた軍服のチノパンは、大学や街中で普段着としてはかれるようになり、一般市民へと浸透していく。つまり第二次世界大戦用に考案された軍服のパンツが、現在の多くのチノパンのルーツというわけだ。

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当時を再現したバズリクソンズのチノパン

そんなチノパンが登場する名画がある。『大脱走』(63年)という名作だ。この作品は、第二次世界大戦中の連合軍捕虜が集団で脱出するという実話を元に描かれたもので、この作品でアメリカ陸軍大尉ヒルツを演じたスティーブ・マックイーンがはいたのが軍用に仕立てられたチノパンだ。チノパン姿でバイクを操り、ドイツ軍から逃げ回る姿が多くの人の記憶に残っている。

バズリクソンズは1993年に誕生した日本のブランド。フライトジャケットに代表されるミリタリーウエアをアメリカの軍用品の調達規格の総称である「ミルスペック」に基づいて忠実にデザインすることで知られている。このブランドの「EARLY MILITARY CHINOS」シリーズにラインナップされているのが、「1942 MODEL」と「1945 MODEL」の2つのチノパンだ。

「1942 MODEL」は1942年型のミリタリーパンツを再現したモデルで、股上が深く、ゆったりとした太めのシルエットが当時のユニフォームを連想させる。脇、内股、尻ぐりなどが2本針を使った「巻き縫い仕様」で仕上げられている。一説によれば、41年に製作された当時のモデルは股の部分が破れるという事態が頻発、翌年から縫い目を2列に変更したという。「1942 MODEL」はその事情を踏まえ、2本針の巻き縫いにしているのだろう。

一方「1945 MODEL」(冒頭写真)は45年型のチノパンを再現したモデルで、「1942 MODEL」が巻き縫いを採用しているのに対して、こちらはわざと「割り縫い」仕様で縫製されている。45年といえば、第二次世界大戦が終戦を迎える年だ。資材不足からより効率化した縫製にしようと、当時の製造事情を忠実に再現しているのではないだろうか。シルエットは「1942 MODEL」に比べてやや細め。その他メタルボタンやポケット口の仕様などは「1942 MODEL」と同じで、2本とも「ウエストポイントツイル」と呼ばれる本格派のコットン100%素材が使われている。

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同シリーズの「1942 MODEL」が「巻き縫い」を採用しているのに対して、この「1945 MODEL」はわざと「割り縫い」という縫製で仕上げている。

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ついでに「41カーキ」と同時期に開発された上着である「M41フィールドジャケット」について触れておこう。これはアメリカ陸軍の最初の戦闘服として生まれたもので、30年代から開発がスタート、いくつかの試作モデルを経て、40年に正式採用になり、41年に大量生産が始まったので「M41フィールドジャケット」と呼ばれている。

それまでの戦闘服に比べて軽量に動きやすいように着丈が短めのブルゾン型につくられているのが大きな特徴だ。テーラードジャケット風のラペルが付き、フロントはボタンとジッパーのダブル仕様。素材に採用されたのが、チノパンとは違い、コットンのポプリン。「チノクラス」に比べて薄く、強度も不足していたので、わずか3年で生産中止になってしまったが、次の「M43フィールドジャケット」の支給が始まっても兵士たちが愛用していたと言われる兵士たちには人気が高かった傑作品だ。現在でもいろいろなブランドでこのジャケットを元にしたブルゾンがデザインされているのもそうした理由からに違いない。

チノパンもこのフィールドジャケットも、戦争で戦うために長い開発期間をかけて機能や素材、デザインを磨き上げて生まれたものだ。そこには流行や時代を超えて生き抜く実力と魅力が詰まっている。だから現代にも語り継がれる名品になり、多くのファッションアイテムにもお手本としてサンプリングされるのだろう。

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ファスナーが登場する以前は洗うと縮む素材が多く、それに対応するため古くからボタンフライが採用されていた。「U.S.ARMY」の文字が刻印されたメタルボタンはヴィンテージでも希少。

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本物の軍用チノパンと同じく、ウエストの内側にウエストとインシーム(股下)のサイズがプリントされている。

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バズリクソンズ「EARLY MILITARY CHINOS」シリーズのもうひとつの代表モデル「1942 MODEL」。股上が深く、太めのシルエットで、「1945 MODEL」に比べてゆったりとはくことができる。¥15,180/バズリクソンズ

問い合わせ先/バズリクソンズ (東洋エンタープライズ) TEL:03-3632-2321

https://www.buzzricksons.jp

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