【光石研のバイプレラジオ】山下達郎など数々のアーティストたちを支える名ギタリスト・プロデューサー佐橋佳幸<前編>

  • 編集:穂上愛
  • 司会&写真:佐野慎悟
  • ジングル:mantaschool

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俳優・光石研によるPenのポッドキャスト番組「光石研のバイプレラジオ」。名バイプレーヤー光石研が、各界の名バイプレーヤーたちを訪ね、インタビューします。

第二回目のゲストは、佐橋佳幸さん。これまでに山下達郎など、数え切れないほどのアーティストの楽曲制作やツアーに参加してきた佐橋さんは、まさに音楽界の名バイプレーヤーといえる存在。

同世代で、飲み仲間でもあるふたりが考える「バイプレーヤーとは?」を、じっくりトークしました。


佐橋佳幸(さはし・よしゆき)
1961年、東京都生まれ。全米トップ40に夢中だった70年代初頭、初めてギターを手にする。1983年バンド「UGUISS」のメンバーとしてデビュー。解散後はセッションギタリストとして、数多くのレコーディングセッション及びコンサートツアーに参加。80年代後半からは作編曲家・プロデュースワークと活動の幅を広げ、90年代はギタリストとして参加した小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」、藤井フミヤ「True Love」などがミリオンセラーを記録。
1994年、エグゼクテイプ ・ プロデューサーに山下達郎を迎えた初のソロアルバム「TRUST ME」を発表。 桑田佳祐らとのユニット「SUPER CHIMPANZEE」にて出会った小倉博和とギターデュオ「山弦」としての活動をスタート。
1994年からは、山下達郎のバンドに参加。以降、 坂本龍一、佐野元春&The Hobo King Band、 TinPanの再結成ツアーに参加。2014年には、「佐棉佳幸(祝)芸能生活 30周年記念公瀬束京城南音楽祭」を開催し、 翌年これまでの様々な仕事をコンバイルした『佐橘佳幸の仕事(1983-2015)〜Time Passes On〜』をリリース。2017年には、 亀田誠治、 森俊之との「森亀橋」 、Dr.kyOnとのユニット「Darjeeling(ダージリン)」でも活動。2022年、ラジオプロデューサーで作家の延江浩との共著『さはしひろし今夜、すべてのロックバーで』(東京ニュース通信社) を刊行。
愛器はフェンダー・ストラトキャスター とギプソンJ-50。

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バイプレーヤーには先天的な“向き不向き”がある?

佐橋:いやでもね、バイプレーヤーっていう言葉をよく考えてみると。

光石:はいはい。

佐橋:僕の仕事はそういう仕事な気がしていて、元々は出身は、地元の友達と組んだロックバンドで、1983年に「UGUISS」っていうロックバンドでデビューしたんですけど。その前から、そういう(バイプレーヤーのような)ことってちょこちょこやってて、そういう仕事って今と一緒で。

光石:うん。

佐橋:いわゆるメインのアーティストの方がいて、そういう人たちをサポートするという仕事をやりたいなと思って、バンド解散後にスタジオミュージシャンっていう仕事を始めるんですけれども。元々はバンドマンだったんだけど、その頃からやっぱり、ボーカルの子がいるわけですよ。そのバンドの歌が引き立つようにとか、そういうことを考えてやってきてるから、バンド時代も、今みたいにスタジオミュージシャンになってからも、やってることはある意味、バイプレイヤーかなと思っていて。

光石:うんうん。一番最初(ギターを手にしたのは)、中学でしたっけ?

佐橋:そうそうそう。

光石:これがびっくりするんです。最初ににギター持ったときに弾けたっていうんだから。

佐橋:それね、ギターを弾いている同業者、みんなそうですけど、なんかやっぱり、しっくりくる人としっくりこない人が多分いると思う。

光石:これ僕に弾けると思った?

佐橋:うん。ぱっと持ったときに、わりとすっと弾けたんですよ。

光石:見様見真似でしょう?

佐橋:見様見真似で。僕の知り合いに聞いても、わりとみんなそうなんだって。だから何だろうな、合う合わないとか、フィットするかどうかっていうのは、スタート地点でもっとも大事なことだと思う。

佐橋:たとえば運動でも、体育の授業でやらされて、走ってるのはあれだけど、なんか球技になった途端に上手くなっちゃう人がいるじゃん。あれと一緒で、初めてやったのに、なんでこんなうまいだろう?みたいなヤツいるじゃん。

光石:いるいる。

佐橋:そういうのと一緒なのかもしれないんだけど。

<続きはポッドキャストで!>

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光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。

光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。