直木賞受賞作家・小川哲が語る、リアルで明確な買い物のルールとは?

  • 文:小川 哲

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Pen本誌で毎号、『はみだす大人の処世術』と題したエッセイを連載する直木賞受賞作家の小川哲。学生時代はファッション誌を読み込み、洋服を買い漁っていたという小川に、自身の買い物のルールを聞いてみた。

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白米にマヨネーズという食事で節約し、洋服に夢中になった学生時代

自分が身に着けるものに興味をもち始めたのは高校生の頃だ。アルバイトをして貯めた金で地元のセレクトショップや古着屋に通い、時折安くない電車賃を払って渋谷や原宿まで向かい、土日しか着ることのない服をたくさん買った。大学生になって東京に出ると、ファッション誌を読み込み、ストリートスナップを参考に、毎週末のように渋谷や表参道で服や靴を買い漁った。もちろん当時は金なんてもっていなくて、白米にマヨネーズをかけただけの貧相な食事をして、飲み会や旅行の誘いを断り、そうやって貯めたわずかな金を服や靴に費やしていた。

当時買った服や靴は、ほとんどすべて処分した。古着屋に売ったものもあるし、友人や後輩に譲ったものもある。売ることも譲ることもできなかったものは捨ててしまった。奇抜なかたちのコート、見たことのないような柄のシャツ、極端に太かったり、極端に細かったりするパンツ、編み上げのブーツ、蛍光色のスニーカー……。僕は貧乏性なので、自分で買ったものを処分する時、それらのアイテムをいくらで買ったかを思い出してしまう。数年前の自分は、どうしてこの靴に数万円も払ったのだろう。すぐに履かなくなることに、どうして気づけなかったのだろう──そんなことを考えて頭を抱えたりした。

皮肉な話で、僕がファッションに最も金と時間を使っていたのは、僕が最も貧乏だった時代だ。いまでは当時よりいくらか財布の余裕はあるが、ファッションに生活費のすべてを投資するような真似はしていない。半年に一度くらい、百貨店や馴染みの店で足りないものをまとめて買うだけだ。「今日は靴と冬用のコートを買おう」というように、明確な目的があって店に来ているので、買い物にかかる時間も短いし、なにを買うか悩むことも少ない。

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自分の中で築かれた、明確な買い物のルール

狂ったように服を買っていた学生時代から十年以上経って、僕の買い物の基準は、次のようにとてもシンプルになった。

「サイズが合っているか。着脱する時に面倒ではないか。十年後も使えるものなのか」

値段は考慮しない、ということも言いきれたら格好いいのかもしれないが、そこは最後に考えるようにしている。当然予算を大幅に超えてしまっていたら諦めることもあるが、昔ほど重要ではない。どうしてそれほど重要ではないのかというと、学生時代に大量に買った服や靴を処分した経験があるからだ。安いものだろうが、高いものだろうが、長く、頻繁に使わなければ結局のところ損になる。過去の自分の失敗から、そのことをよく学んでいる。僕にとって“名品”とはつまり、値段やブランドに関係なく、長く使い続けることのできるもののことだ。

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「サイズが合っているか」は最も重要視している。どれほど気に入ったデザインの服でも、身体に合ったサイズでなければ似合わないし、どれほど格好よくて座り心地のいい椅子でも、机の高さと合っていなかったら使えない。デザインや意匠の好みは主観的なものだが、サイズは客観的なものだから、絶対に裏切られることはない。

たとえば、N.ハリウッドの無地Tシャツは、ずっと同じものを着続けている。40のサイズが僕には大きすぎず小さすぎず、ちょうどいい大きさだからだ。着古してからは寝巻きにして、新しく同じものを買う。そんなことを十年以上繰り返している。

「着脱する時に面倒ではないか」は、そのアイテムを頻繁に使うかどうかを決める要素だ。どれだけ格好いい靴でも、履くのに時間がかかると途端に使わなくなる。僕はデザイン的な観点から革靴が好きだが、年に数回、フォーマルな場に出る時以外は履かない。夏場には毎日サンダルを履いているし、それ以外は靴ひものない靴ばかり履いている。

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アディダスのイージーブースト350のスニーカーは、履きやすさと履き心地が素晴らしくて重宝している。ゴムの履き口につま先を入れるだけなので、サンダルのように気軽に履ける。ミッドソールに搭載された「ブーストフォーム」のおかげで、踏み込んだ足が勝手に地面で弾み、長時間歩いても疲れない。もう他の靴を履けないくらい気に入ってしまった。

「十年後も使えるものなのか」という基準は、いろんな要素を含んでいる。頑丈かどうか。将来的にダサくなったりしないか。より性能のいい新商品がすぐに出たりしないか。服であれば、縫い方や素材を見る。なるべくシンプルで、流行に左右されないデザインかどうかを確認する。十年後の生活の中でも使えるものかを想像する。

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アルテックのチェア69はシンプルなデザインだが、どんなインテリアにも合うし、なにより頑丈で使いやすい椅子だ。部屋に置いておくと普通の椅子なのだが、細かく見るとディティールが格好いい。スタックすることもできるので、いくつか買っても問題ない。なにしろ1935年にデザインされた椅子が、現代でも使われているのだ。あと十年でダサくなる、ということはないだろう。

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まずは買い物で失敗することから

買い物の3つの基準を挙げてみたが、僕なりに“名品”を選ぶコツを伝えるとすれば、まず「自分をよく知ること」だと思う。自分という人間が、どういうものを好む傾向にあるのか。その好みがどういう風に変わる可能性があるのか。他人にどう思われたいのか。僕の場合は、自分が飽きっぽく面倒くさがりであることも知っているので、生活する上で必要不可欠なもの以外は買わないようにしている。コーヒーが好きなのだが、もう何年も大型のエスプレッソマシンを買おうか迷いつつ、結局はインスタントコーヒーで我慢している。「ミキサーがあればあの料理をつくることができるのに」と思いながらも、継続的に使っていく自信がなくて買わずにいる。

もうひとつは、「何度も失敗をすること」だと思う。一生使っていくと決めた商品が、数日で粗大ゴミになってしまう。数万円も出して思いきって買った服を、一度着ただけでクローゼットに片付けてしまう。僕は幾度もそういう経験を繰り返してきた。だからこそ、店で気に入った商品があっても、自分の感情をそれほど信用しない。サイズ、着脱、十年。その3つの基準を厳格に適用する。なにかを買えば、その代わりになにかを捨てることになる。だからなにを捨てるのかを考える。無数の失敗の中で、そういったことを学んできた。「買い物に失敗する」というのは、麻疹や風疹、水痘と同じで、若い頃に経験しておいたほうが軽症で済むのではないかと思っている。知人には、失敗の経験をしないまま年を重ねてしまって、急に使える金が増えて取り返しのつかない事態に陥ってしまった人もいる。乗りもしない外車を買ったり、数十万円もするわりに汚れが目立つブランドもののコートを買ったり。投資や不動産の失敗もそこに加えていいかもしれない。

なんでも、まずは自分がいいと思ったものを買ってみることからスタートすべきではないか。必死に貯めた金が無駄になったとしても、「無駄な買い物をした」という経験は確実に残っている。誰しも、最初から完璧な人なんていないし、最初からセンスのいい人もいない。失敗を繰り返し、その中で自分のことをよく知り、そうやってそれぞれの“名品”に出合うチャンスが生まれるのではないか。僕も、今後自分が出合う“名品”を楽しみにしている。

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小川哲(おがわ・さとし)

●1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。2023年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。Penでは毎号、エッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。

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※この記事はPen 2022年11月号「最旬アイテムを厳選 2022年秋冬名品図鑑」より再編集した記事です。

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