意図的に直さなかった? 英語訛りが愛された、ジェーン・バーキンのフランス語

  • 文:山川真智子

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美しさと自由奔放さで注目され、1960年代からモデル、歌手、俳優としてフランスを拠点に活動してきたイギリス人アーティスト、ジェーン・バーキンが7月16日に死去した。フランスでは彼女を自国民のように愛し、その死を悼む人が多いと言う。人気の理由の一つとして、渡仏後50年以上を経ても、彼女のフランス語から英語訛りが抜けなかったことがあげられている。

間違えるたびにフランス人が大受け! 学習は難しかった…

ジェーン・バーキンが渡仏したのは1968年。最初の夫との離婚後で、その後フランス人アーティスト、セルジュ・ゲンズブールと事実婚の関係に至った。当初フランス語は話せなかったという。

2017年のガーディアン紙のインタビューで、バーキンはテープレコーダーとゲンズブールからフランス語を学んだと話していた。ゲンズブールはスラングばかり教えたので、周りの人々は彼女のフランス語を聞いて笑っていたらしい。この時、純粋にフランス語がうまくなりたかったのか、それともフランス人を笑わせたかったのかは分からないとしている。

バーキンは、フランス語学習を2015年のサブカルチャー系雑誌、インタビュー・マガジンで回想し、大いに困ったと述べている。女性名詞と男性名詞の区別があることを知らず、文法の時制をいつも難しく感じたという。演劇をやったおかげで、アクセントはずいぶんよくなったが、他の人の2倍の努力が必要だったらしい。人を笑わせることが好きだったので、フランス語のミスでみんなを笑わせることは楽しかったが、もっと良い学習法もあったかもしれないと話している。

忘れられないアクセント フランス人が追悼

バーキンのフランス語が英語訛りだったことは良く知られており、ニューヨーク・タイムズ紙によれば、ときには英語とフランス語を混ぜた独自の「バーキニーズ」を話したという。ル・モンド紙は、「あり得ないフランス語も彼女の魅力の一つになっていた」と述べている。

フランスの多くの著名人が追悼のメッセージが送っているが、パリのイダルゴ市長は、「もっともパリジャンらしいイギリス人女性」が我々のもとを去ったと述べ、彼女の歌、笑い声、そして「比類なきアクセント」を決して忘れることはないとした。マクロン大統領は、バーキンは自由の化身であり、「私たちの言語で最も美しい言葉を歌った」彼女は、フランスの象徴だったとしている。

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英語話者だから許された? 訛りOKには時代背景も

しかし、バーキンの英語訛りは直せたはずだという意見もある。2014年に、フランス・セズというブログのカナダ人フランス語話者は、バーキンはフランスに何十年もいるにもかかわらず「r」の発音ができないし、女性名詞に男性名詞の冠詞を付けて話すことなどもあると指摘していた。英語訛りのフランス語は可愛らしく、セクシーでスマートと受け取られるとし、バーキンが直す努力をしていない、または意図的に直していないことを示唆している。

仏リベラシオン紙のインタビューに答えた社会言語学者は、メジャーな言語(この場合英語)の話者が話す外国語の訛りは拒絶されず、チャーミングとさえ受け止められると解説。バーキンの母語がもっとマイナーだったなら、アクセントを直す必要に迫られたかもしれないとする。また、彼女がフランスに来た1960年代後半から1970年代は、ヒッピーなどが社会の規範に挑戦した時代でもあり、アクセントを保つことがアーティストとしてのアイデンティティになったのかもしれない、という見方も示している。

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フランス語でインタビューに答えるバーキン。

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フランス語を話す若き日のバーキン

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美しく奔放だったバーキン

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マクロン大統領のメッセージ

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イダルゴ市長のメッセージ。