〈宮城県大崎市〉
百年ゆ宿 旅館大沼
本来、旅は暇を味わうための時間である。暇という字は日に叚と書く。「叚」の成り立ちを紐解くと「磨かれる前の原石」の意味にたどり着く。つまり自分を整え秘められた力を磨き上げる時間。ギリシャ語のスコレー(暇)がスクール(学校)に変化したことを考えると暇は人生に必要なのだ。
東鳴子温泉の「旅館大沼」は、7つの内湯とひとつの露天風呂が旅人を暇にしてくれる宿である。特に裏山に設えられた露天風呂「母里(もり)の湯」が素晴らしい。塩分を含む無色透明の重曹泉に浸かり、目を閉じて耳をすます。湧水の流れる音と虫の音が混じり合い、森に包まれたような感覚になる。心の底に溜まった重たいものが湯に溶かされていく。これを命の洗濯と言うのかもしれない。長嶋茂雄氏はこの宿に「快浴洗心」という言葉を贈った。
五代目主人の大沼伸治さんは自らを湯守と名乗り、すべての風呂の加減を湯量だけで調整する。目指すのは、どれだけ入っても飽きない湯。繰り返し浸かり、そこに生まれる余白こそ大切な時間。食事もその延長にある。地元の米、水、大豆と旬の食材を馳走として一汁五菜から一汁九菜まで選べる。農家の料理を「農ドブル」という名でふるまう試みも面白い。
大沼さんが提唱するのは、二泊三日で湯を純粋に楽しむ現代湯治というスタイル。その考えに共感する地元の生産者やデザイナーがここに集う。そんな人たちとの出会いもまた、大きな魅力である。それはただの暇ではなく、価値のある暇と言えよう。
※この記事はPen 2024年12月号より再編集した記事です。