"シーシャ"のように、日常の断片を混ぜ合わせる。文筆家・伊藤亜和がいまエッセイで書きたいもの

  • 写真:土田凌
  • 文:篠原諄也
  • 協力:横浜美術館
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今年、エッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』『アワヨンベは大丈夫』を立て続けに上梓した、新時代の文筆家・伊藤亜和。ジェーン・スーや糸井重里などの著名人から絶賛され、各界の注目を集めている。 

昨年の父の日に、note記事のエッセイ「パパと私」がXで拡散され、その投稿は910万回も見られることに。そこではセネガル人の父と価値観が合わずに大喧嘩をし、それ以来、7年ものあいだ会わずにいたことが綴られている。

日常の断片を、対象と適度な距離感を保ったドライな筆致で綴りながら、時には身近でかけがえのない愛を巧みに描き出す伊藤のエッセイ。最新作の『アワヨンベは大丈夫』でも、「パパ」をはじめ、日本人で文学好きの「ママ」、穏やかな祖父に気の強い祖母、少し歳の離れた弟など、個性派揃いの家族のエピソードが収められている。

伊藤はエッセイという形式に魅力を感じながらも、自身で「エッセイスト」と名乗ることには抵抗があるという。その背景にある思いや執筆活動の原体験など、じっくり話を聞いた。

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左:『存在の耐えられない愛おしさ』 右:『アワヨンベは大丈夫』

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文章を書くきっかけはTwitter

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伊藤亜和⚫︎1996年、神奈川県生まれ。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。noteで公開したエッセイ「パパと私」がXをきっかけに話題となり、「創作大賞2023」でメディアワークス文庫賞を受賞した。

――子どもの頃から、読書が好きでしたか。     

本はあまり読まなかったんです。1年に2、3冊読めばいいほうでした。でも母は読書が好きだったので、本棚にはいろいろな本がありました。母は『アワヨンベは大丈夫』の帯を書いていただいた山田詠美先生が好きで、家に著作がたくさんあってその中から数冊を読んでいました。母はなにを考えているのか理解できないような人で、詠美先生が書くものを通して知りたいと思っていました。本棚にはほかに、三島由紀夫や谷崎潤一郎などの文豪の名作もあれば、田辺聖子の『苺をつぶしながら』、手塚治虫の『リボンの騎士』などもありました。

あと漫画はなにかしら読んでいましたね。特に『銀魂』が好きで、小4の頃から完結するまで読んでいました。私の大体は『銀魂』でできている(笑)。文章の言い回しも、かなり『銀魂』だと思います。ふざけたいんですよね。あまり深刻にしたくないというのが、「銀魂イズム」だと思っているんですけど。

――文章を書くことに関心を持ったきっかけは?

中学生の頃に始めたTwitter(現・X)でした。学校で流行っていて、みんなだんだんやめていったんですけど、私だけはTwitterに執着を見せて(笑)。変な人がいたこと、お店で店員さんに言われたことなど、身の周りで起きたことを書いていました。

それが文章を書く原体験でした。140文字の短い文字数の中でいかにふざけるか。簡潔にわかりやすく書くように工夫していました。学校では友達が少なかったんですけど、友達じゃない人から「Twitter面白いね」と声をかけられたりして。それで友達になるわけでもないんですけど。

――noteはどのようなきっかけで始めたんですか。

5年前にTwitterで、みんながnoteを書くような流行があって。それでスマホにアプリをインストールしてみたんです。完全にTwitterの延長というか、長文が書けるTwitterのように思っていました。4カ月に1回くらい、なにかを書きたくなった時にスマホで短い文章を書いて投稿していました。

――どういうエッセイを書いていましたか。

自己紹介を書いていました。というか、私が書いているものは基本全部、自己紹介ですね(笑)。それで「文章がうまい」という反応をもらったので「いけんじゃね?」と思って、石川県の偉い人にまつわるエッセイのコンテストに応募したこともありましたが、普通に落ちてしまいました。郷土愛について書かなきゃいけないんですよ。だから石川出身の人にだいぶ有利だった……。

――横浜出身の伊藤さんですが、横浜への郷土愛でもよかったんでしょうか。

一応いいということになってましたけど、多分駄目なんだと(笑)。私は横浜というより、日本について書いちゃって。電車の中に入ってきた虫は、遠くに運ばれて不安じゃないのかという話でした。でも普通に落ちて「なんだ駄目じゃん」と思いました。

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取材は伊藤の地元である横浜市にある、横浜美術館で行われた。幼い頃から訪れている思い入れのある場所だ。現在一部オープン中だが、2025年2月8日に横浜美術館リニューアルオープン記念展「おかえり、ヨコハマ」が開幕し、全館オープン予定。

――昨年の父の日にnoteのエッセイ「パパと私」がXで拡散されて、大きな話題となりました。18歳の頃、価値観の合わない「パパ」に悪態をつき、路上で警察沙汰になるほどの大喧嘩をしたことが回想されます。「パパ」のことを書きたいという思いが、もともとあったのでしょうか。

当時の私がどんな気持ちで書いたか、もはや思い出せないんですけど、父と喧嘩別れをしてから7年ほど時間が経っていました。だから自分の中では単なる出来事として客観的に見られるようになっていて、あまり感情は込もっていなかったと思います。

父に対して、特別に思い入れがあるわけではない。でも、このまま理解しあえないまま、どちらかが死んでしまうんだろうか。そういう漠然とした寂しさがありました。時間が経ったからこそ、そろそろ仲直りしたほうがいいだろうかと思ったり。そんな父のことを知ってほしいというか、なにかしらの形式で残しておきかったんです。

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"シーシャ"のように書くエッセイ

――今年6月にその「パパと私」も収録したデビュー作『存在の耐えられない愛おしさ』、そして11月に第2作エッセイ集『アワヨンベは大丈夫』が刊行されました。2作を改めて並べてみて、ご自身で感じる違いがあれば教えてください。

『存在の耐えられない愛おしさ』は家族だけでなく、他人も含めて書いていて、平たく言うと「面白人間・大集合大会」みたいな本です。単純にこういう人がいたんですよ、ということに終始しています。

『アワヨンベは大丈夫』のテーマは家族でした。自分が家族だと思う人を、この本で表明しているような感じです。大きい意味での家族を意識して書きました。家族を通して、自分はどうなのかということを考えています。

――家族というテーマにしたのはなぜでしょう。 

「パパと私」を読んだ担当編集者に「家族の話を書いてほしい」と言われて。当初は「アワは大丈夫」というタイトルを提案されたんですが、それだとハートフルエッセイになってしまうなと思ったんです。だからもうちょっとクセを出したくて、『アワヨンベは大丈夫』(アワヨンベはセネガル人の父がつけた愛称)にしました。家族に深い愛情があるかというと、そういうわけでもない。決して「家族最高! みんな大好き!」という感じにはしたくありませんでした。表紙の雰囲気も私のイメージと合っていて、気に入っています。

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――エッセイはいつもどのように書くのでしょう。

「パパと私」のようにわかりやすく大きい出来事があるものは、起きた出来事だけに注目すればいいので、比較的書きやすいですね。でも自分の精神面のことを考える話だったりすると、それだけでは成り立ちません。

まず、偶然起きた出来事の関連性を見つけていきます。そこから、シーシャ(水タバコ)みたいに、いろんな味を混ぜ合わせ美味しいフレーバーをつくり出すようにして、一見まったく関係がないふたつの出来事を私が作意的にこじつけることによって、ひとつの物語が立ち上がる。少し大げさですけど、すべては導かれていて、必然だったと感じることもあります。

――具体的にはどういうことでしょう。

例えば「『いいひと』とは」というエッセイ(『存在の耐えられない愛おしさ』収録)では、三味線の先生から私の演奏を「清濁合わせのむようだ」と評された話が出てきます。さも私が「いい人とはどういうことだろう」と考えていた時に示唆を与えてくれたかのように書かれていますが、実際はこの時系列は逆かもしれない。それは私が言わない限り、誰もわからないじゃないですか。もしかしたら、エッセイとして反則技なのかもしれない。だから私は自分でエッセイストを名乗ったことはなくて、文筆家と名乗っています。事実でないことは書かないにしても、物語をつくることを優先したいと思っています。

――フィクションとあまり境界がないようなイメージですか。

そうですね。実際、なにかが起こった時、私はなにも考えていないかもしれないですよね。「やべえ、やべえ」と思っているだけかもしれない。でも後から「こう思ってたんじゃないか」と私が思うのは自由なので。そういう意味では卑怯な手を使って書いているのかもしれません。

――これからの執筆活動について、考えていることを教えてください。

連載や本を次々と発表していきたいです。徐々にエッセイから離れていこうという思いもあります。いまはエッセイとファンタジーを混ぜた本を構想しています。エッセイの間に絵本ぐらいの短さで童話を挟むような試みをやってみたくて。それでもエッセイの割合が大体なんですけど。

一方で、エッセイというジャンルにはすごく魅力を感じています。事実を元に書かれたエッセイを読んで希望を持つことは、”現実逃避”にならないと思うんです。私自身、小説や映画でファンタジーを楽しんだと後、現実の世界に戻りたくなくなることもあります。でもエッセイは、現実でそんな素敵なことが起こりうるなら、この世界は生きるに値すると思わせてくれる。そういうものを書けたらいいなと思います。

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『アワヨンベは大丈夫』

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個性派揃いの家族と過ごす日々を書いた最新作。パパから譲り受けた「周りと違う」という意識、捉え難く「宇宙人」のようなママへの思いなどを綴る。晶文社 ¥1,760


『存在の耐えられない愛おしさ』

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両親や祖父母とのドタバタ劇、モデルやガールズバーの仕事の裏話、女友だちとの弾丸旅行記などを書いた“面白人間集”。ジェーン・スーとの対談も収録。KADOKAWA ¥1,650