名窯の新世代が見据える、深川萩の未来 〜長門湯本温泉・前編〜

  • 写真:朝山啓司
  • 文:猪飼尚司
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十六代坂倉新兵衛(じゅうろくだい・さかくら・しんべい)●1983年、山口県生まれ。陶芸家。東京藝術大学、大学院で彫刻を専攻。京都市伝統産業技術者研修で陶芸を学ぶ。2011年より父、十五代坂倉新兵衛のもとで作陶。24年5月に十六代坂倉新兵衛を襲名した。

360年を超える歴史を誇る、山口県の深川萩。日本の茶の湯文化を支えてきた窯元を襲名したばかりの、十六代坂倉新兵衛のもとを訪ねた。

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萩焼の名窯が代替わり。若き当主が見た新しい景色とは

楽焼や唐津焼とともに、日本有数の茶陶として知られる萩焼。なかでも、山口県長門市深川(ふかわ)三ノ瀬(そうのせ)地区では、この自然豊かな山間の登り窯でつくられるものは「深川萩(ふかわはぎ)」と呼ばれ、多くのファンを惹きつける。そんな深川萩の名窯のひとつ、坂倉新兵衛窯が2024年に代替わりを発表。1983年生まれの若き当主の誕生に注目が集まっている。

「ここで生まれ、幼い頃から焼き物に親しんでいたので、大人になるまでは自分の置かれている環境がいかに特別で貴重なものかをきちんと認識できずにいました」

穏やかで朴訥した表情の中に上品さを湛える深川萩。焼き締まりの少ないざっくりとした“土っぽさ”が魅力だ。どのように作陶すれば土が持つ本質的な魅力を伝えられるか、悩んだ時期もあった。

「試しに山に分け入り、自分で掘り出した土と、曾祖父が残した萩焼の原土とを混ぜ合わせて焼いてみたら、とてもいい土の表情が出ました。時折立ち止まり俯瞰して見て、いまあるものも活かすことで、新しい景色が見えるのだと気付きました」

ふと辺りを見渡すと、地元の長門湯本温泉にも変革が訪れていた。バブル後は閑散としていたが、2016年には官民一体で、長門湯本の再生計画が始動。日本各地から才能が集まり、8年経って街は魅力的に変化を遂げた。いまその流れの中心に、十六代坂倉新兵衛をはじめ、若い世代もいる。

窯元が現代に残るのは、歴代の当主の努力のみならず、同じ土地に生きる人々が深川萩を愛し、大切に守ってくれた背景がある。

「襲名を機に大勢から注目していただけるようになりました。受けた恩に報いるために、“坂倉新兵衛”として、地域のためにできることは積極的にやりたいです」

スポークスパーソンとして街に貢献するには、真摯に創造にいそしみ、茶陶の道を極め、もっと名を上げなければならない。

「土と向き合うほどに感覚は鋭くなり、意識は広がっていく。自身の創意と伝統的なスタイルとの間でもがくことも多々ありますが、この地の風土の中でこそできることを体現していきたいです」

厳しい壁ながら、それが自分の生きる道であり、豊かで尊いもの。そう信じて今日もまた、土を捏ね、ろくろを回す。

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坂倉新兵衛窯の登り窯。焼成時には、油分をたっぷり含んだ地元産のアカマツを使い、窯の内部温度を一気に1200度まで上げる。これにより、萩焼特有の窯変や灰かぶりの表情を引き出していく。
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長門湯本温泉から車で10分ほど山道を登った先にある深川萩の里、三ノ瀬地区。小川と山の斜面に挟まれた細い土地に、坂倉新兵衛窯をはじめ現在5つの窯元が存在する。
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窯の裏手にある山の中に分け入り、自分で採取した土と萩の土を混ぜながら作陶した花瓶。古代の土器のような表情を醸し出している。十六代を襲名する前に、坂倉正紘の名義でつくった作品(以下も同様)。当時は萩焼の風合いを感じさせながらも、より自分らしい独創的な表現にトライしていた。
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素材と技法は伝統の萩焼にのっとった上で、表面に細かな凹凸を施し、豊かな質感を表したオブジェ。 
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山の中で岩に土の塊を投げつけて成形。自然の岩肌に刻まれたテクスチャーをそのまま写した茶器。 
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黒土の上に白土を重ねて化粧掛け。斜めに走るラインが新鮮な夏向きの茶碗だ。さまざまなものをつくってきたが、襲名後しばらくは「茶碗を中心に、より深川萩の真髄を目指していきたい」と語る。

後編では、十六代坂倉新兵衛が長門湯本温泉のお薦めスポットを紹介する。

長門湯本温泉の詳細はこちら

長門湯本温泉

www.yumotoonsen.com/