今月のおすすめ映画①『ベイビーガール』
女性視点で捉え直した、新たなエロティック・スリラー

ニューヨークで起業し、キャリアを上りつめたCEOであるロミーは優しい夫とかわいい子どもたちに囲まれて理想的な人生を送っている。しかしただひとつ、性生活においては充足感を得られていなかった。ある時、ロミーは通勤中に凶暴な犬が襲いかかってきそうになったところを同じ会社のインターン生であるサミュエルに助けてもらう。そこで、封じ込めていたはずのロミーの欲望はすぐに、サミュエルの犬並みの嗅覚によって嗅ぎ分けられてしまう。映画のこのオープニングは、のちのふたりの主従関係をいみじくも予告している。
本作の監督と脚本を務めたのは、オランダのハリナ・ライン。ロミーを演じた主演のニコール・キッドマンは、近年意識的に女性の映画監督とのプロジェクトに取り組んでいる。『ベイビーガール』はポール・バーホーベンによる『氷の微笑』をはじめ、1990年代に席巻したエロティック・スリラーを女性視点によって捉え直そうと目論まれており、その意味で年上の女性と若い男性という構図は決して反転できないものとなっている。ロミーとサミュエルはそうした不均衡な権力関係のもと、危険に満ちたパワーゲームを秘密裏に楽しむようになっていく。
ロミーはまた、成功した女性として完璧でいなければならないというプレッシャーに常に曝されている。女性が背負わされてしまう美と若さを巡る抑圧は、5月に劇場公開を控えるデミ・ムーア主演作『サブスタンス』でも主題となっている。これらの作品はいずれも一定の年齢を超えた女性俳優を冷遇してきたハリウッドの内省を感じさせ、ニコール・キッドマンとデミ・ムーアがそれぞれの仕方で、これまで映画が捨象してきたような歳を重ねた身体をスクリーンに曝け出す。
果たして、彼女の欲望の行き着く先とは──?

『ベイビーガール』
監督・脚本/ハリナ・ライン出演/ニコール・キッドマン、ハリス・ディキンソンほか
2024年 アメリカ映画 1時間54分 TOHOシネマズ日比谷ほかにて公開中
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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今月のおすすめ映画②『シンシン/SING SING』
実在する刑務所を舞台に、喜劇の意味を哲学的に探究

ニューヨークに実在する「シンシン刑務所」を舞台に「芸術を通じての更生プログラム」として、そこで暮らす収監者たちは仲間と演劇に励んでいた。キャストの大半に実際のプログラム参加者が起用され、本人役を演じている。フィクションにドキュメンタリー性を織り交ぜるユニークな手法によって撮られたその迫真の演技が胸を打つ。彼らは厳しい境遇に置かれながらも演目に喜劇を選び、今作は人生における喜劇の持つ意義を哲学的に探究する。
『シンシン/SING SING』
監督/グレッグ・クウェダー出演/コールマン・ドミンゴ、クラレンス・マクリンほか
2023年 アメリカ映画 1時間47分 4/11よりTOHO シネマズ シャンテほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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今月のおすすめ映画③『メイデン』
流れるように視点を変え、凄惨な事件を描いた青春映画

カナダの郊外に暮らす高校生たちの孤独をメランコリックに描き出した青春映画。永遠に続くかのような暑い夏の日々を謳歌していた親友同士の少年たちを、ある日凄惨な事件が襲う。その街では、ちょうど時期を同じくしてある少女が行方不明になっていた……。映画は視点を流れるように変えながら、このふたつの喪失を独自の手法で追う。象徴的に登場する黒い猫の亡骸や、16mmフィルムで撮影されたマジックアワーの美しい情景が記憶に残る。
『メイデン』
監督・脚本/グラハム・フォイ出演/ジャクソン・スルイター、マルセル・T・ヒメネスほか
2022年 カナダ映画 1時間57分 4/19よりシアター・イメージフォーラムほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
※この記事はPen 2025年5月号より再編集した記事です。