大人の名品図鑑 サマープレッピー編 #4
プレッピーとは、アメリカの名門私立学校=プレパラトリースクール(略してプレップスクール)に通い、有名大学を目指す学生たちのこと。彼らの装いを参考にしたスタイルも“プレッピー”と呼ばれ、これまで多くのデザイナーやブランドの着想源となってきた。今回はこのプレッピースタイルと、その装いに欠かせない名品たちを掘り下げて紹介する。
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『オフィシャル・プレッピー・ハンドブック』(以下『プレッピー・ハンドブック』)のCHAPTER6では、大人になったプレッピーのライフスタイルについて、こんな一節がある。
「生活と仕事において、身を捧げてもよいと思っているものを一つあげるとすれば、それはレジャーです」———この言葉に象徴されるように、プレッピーたちは「よく遊ぶ」ことを重視している。また同章には「“サマーする”という言葉は、夏をほかの場所で過ごすという意味で、とてもプレッピーらしいことです」とも書かれており、夏に避暑地で過ごすことがプレッピー的理想のひとつであることが伺える。そして、彼らが“サマー”を過ごす島の一例として挙げられているのが、マサチューセッツ州沖に浮かぶナンタケット島だ。
この島の名を冠した「ナンタケットバスケット」は、プレッピーの女性たちにとって欠かせない名品のひとつだ。『プレッピー・ハンドブック』では「ライトシップ・バスケット」として紹介され、「ナンタケットの家内工業から生まれます。良い物は、フタに本物のスクリムショーがついていて、作った人のサインと日付が入っています」と解説されている。
ナンタケット島は、18〜19世紀に世界有数の捕鯨港として栄え、莫大な富を築いた歴史を持つ。ハーマン・メルビルの小説『白鯨』の舞台としても知られるが、捕鯨業の衰退とともに島の経済も低迷。しかし、20世紀後半、美しい自然と静けさを求める富裕層の避暑地として再び脚光を浴びるようになった。
「ナンタケットバスケット」の起源については諸説あるが、現在一般的に知られるフタ付きの「ナンタケットバスケット」が登場したのは1940年代後半。ハーバード大学出身のホセ・レイが隣人のミッチェル・レイと共にフタ付きのバスケットを考案したと言われている。やがて避暑地を訪れたセレブリティたちの間で人気を博し、“世界一美しいバスケット”とも称されるようになった。
前述の通り、『プレッピー・ハンドブック』で紹介されている「ライトシップ・バスケット」とは、捕鯨船のために港に停泊していた灯台船(ライトシップ)に由来する。1〜3ヶ月の間、船での生活を送った船員たちが、船上でバスケットを編み、細工を施したことが名前の由来とされる。それでこのバスケットは「ライトシップ・バスケット」とも呼ばれるようになったらしい。
ナンタケット島で唯一認められた、日本人作家の逸品
この伝統工芸の担い手のひとりが、今回紹介する八代江津子だ。彼女は1990年代にアメリカ滞在中に「ナンタケットバスケット」に出会い、ナンタケット島に住む著名なバスケット作家アラン・リード氏の元に5年間通い、ようやく弟子入りが許された。彼の指導で八代はさまざまなバスケットづくりの技術を学び、日本人としてこの島で唯一認められたナンタケットバスケット作家となった。そしてバスケットの伝統を伝えるため、ボストンで教室を開き、1999年には「New England Nantucket Basket Association」を設立。2017年には「日本ナンタケット協会」を創設し、日本国内でも普及に尽力している。
かつてはエリザベス女王に献上され、オードリー・ヘプバーンやジャクリーン・ケネディにも愛用された「ナンタケットバスケット」。精緻な手仕事と気品に満ちたその佇まいは、プレッピーたちの“サマー”に欠かせない存在であり、フォーマルな場でも持つことを許された確かな格式を備えた、本物の逸品である。---fadeinPager---
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グレイミスト ジャパン
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