【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『プレイグラウンド』
リチャード・パワーズ 著 木原善彦 訳 新潮社 ¥4,950
初めて海に潜った時のことを憶えている。静かだった。見下ろすと、魚たちの群れが行き来して、人間が支配する地上とはまったく別のルールで生きていた。別世界を知ることは、自分を自由にすることだと知った。
リチャード・パワーズの最新刊『プレイグラウンド』を読んで、あの解き放たれたような浮遊感が蘇ってきた。現代アメリカ文学の最重要作家と言われるパワーズは、これまでも人類の行き着く先を最先端の科学的知見を駆使して描いてきた。ピュリツァー賞を受賞した『オーバーストーリー』では原生林の破壊とアメリカ史を、『黄金虫変奏曲』では生命進化のDNA二重らせんとゴルトベルク変奏曲を、驚くべき手際で重ね合わせてみせた。前作『惑う星』も絶滅危惧種に想いを寄せる少年と地球外生命体の研究者の父親の物語だった。せめぎあうふたつの世界をひとつの小説に編み上げてきた知の巨人は、本作ではAIと海洋世界をテーマにさらなる地平を切り開く。
南太平洋に浮かぶマカテア島に海洋都市建設の計画が持ち込まれる。芸術家のイナとその夫ラフィはアメリカから島に移住してきた。ラフィの親友でコンピューターオタクだったトッドは、仮想プラットフォーム「プレイグラウンド」を開発してIT業界の寵児になっていた。かつて青春をともにしたふたりの断絶と再会の物語は、予想もしなかった結末へとたどり着く。
そして、カナダ人海洋学者のイーヴリンが案内してくれるのは、海の世界の豊かさだ。AIの進化の勢いは凄まじく、仮想空間が現実を侵食する過程を私たちは目の当たりにしているのかもしれない。だとしても、この世界はプレイグラウンド、生命の遊び場だ。その限りない豊かさが煌めく瞬間、パワーズが仕掛けた未来予想図に心が震える。