サウジアラビア
全85駅を擁するサウジアラビアのリヤド地下鉄が、開業8か月で利用者累計1億人を突破した。中でもスノヘッタ設計の鏡面キャノピーを冠したカスル・アル・ホクム駅は、リヤドの新たな観光名所に。移動の97%が車だった砂漠の大都市で、建築が静かな革命を起こしている。
街と地下世界をつなぐ巨大ミラー
リヤド地下鉄の列車を降りて頭上を仰ぐと、旧市街が逆さまに広がっている。王宮のシルエット、モスクの尖塔、広場を歩く人々。ステンレスの曲面に映る360度のパノラマが、椀型の天井一面に途切れなく続く。
2025年2月、サウジアラビアの首都で開業したカスル・アルホクム・メトロ駅の光景だ。乗客が鏡面のキャノピー(大庇)を見上げれば、足を踏み出すたびに像はゆらめき、見上げる自分もいつのまにか反転した都市風景に溶け込んでいくかのような感覚にとらわれる。地下にいるはずなのに、まるで空の底に立って街を見下ろしているような錯覚を覚える。
手がけたのはノルウェーの建築事務所スノヘッタ。同駅は、リヤド地下鉄の2路線が交差する主要ハブだ。英建築デザイン誌のデジーンは駅のユニークな存在感を取りあげ、ひときわ目を引くのが、広場の上空からなめらかに湾曲して地下へ落ち込むキャノピーだとしている。
二重曲面のステンレス鋼板を溶接し、丹念に研磨した鏡面に、地上の景観と地下の駅空間が同時に映り込む。スノヘッタのパートナー、ロバート・グリーンウッド氏はデジーンに、巨大なミラーが分断された地上と地下の世界を橋渡しするのだと語る。地下から見上げれば、地上世界を一望。また、地上から来た人が同じ鏡面を見上げると、今度は、「地下で起きていることがすべて映し出されている」との趣向だ。
通勤中に思わず見とれる駅
駅が位置するのは、リヤドの歴史的な地区の中心部だ。アル・ホクム宮殿、イマーム・トゥルキ・ビン・アブドゥッラー大モスク、アル・マスマク宮殿など、政府施設や歴史的名所が徒歩圏に集まる。その地下、深さ40メートル(ビル約13階分)に、延べ2万2500平方メートル、全7フロアの空間が広がる。米ニュース専門チャンネルのCNNは、駅に見慣れたはずの通勤者でさえ、乗り換えの合間に思わず足を止めて見入るほどだと伝えている。
リヤドに4年暮らすマレーシア出身のトリシア・オーイ氏は同局の取材で、この駅を訪問者に必ず薦めると語った。理由は、「駅そのものの美しさ」。スカイブリッジやブールバール・ワールドといった定番観光地と並ぶ見どころだという。彼女の言葉を借りれば、「この街で最高の観光スポットのひとつ」だ。本来なら乗り降りするだけの地下鉄駅に、一目見ようとした人々がわざわざ足を運んでいるのは、建築とデザインのなせる技だ。
キャノピーの下、コンクリートの円錐壁に密かに宿るのは、隣接するアル・ダホ地区に今も残る伝統的な幾何学文様だ。サウジアラビア中部、ナジュド地方に伝わるナジュディ建築に由来する。
建築専門ウェブメディアのアーキ・デイリーによると、大きさの異なる3種類の三角形を組み合わせた窓抜き模様が、アトリウム(吹き抜け空間)の内壁全体に展開されている。差し込む光の角度が変わるにつれ、壁面の表情も刻々と移ろう。設計チームは伝統建築の窓飾りを現代のコンクリートの壁に蘇らせ、地下のインフラ空間と歴史地区のあいだに視覚的な対話を生んだ。
近代デザインに宿る伝統の美意識
この対話は、駅の外にも展開する。駅前には毎年イード(断食明け祭)の礼拝に数万人が集う広場がある。路面にはテラゾー(大理石片などを混ぜ込んだ磨き仕上げ)が敷かれ、市民に開かれた公共空間として整備された。プロジェクトの一環で隣接するモスクも再建され、メッカの方角に合わせた照明付き排水溝で広場とモスクをつなぐなど、駅と周辺の宗教・歴史空間が一体となる都市景観が計画された。歴史地区に受け継がれる遺産を、近代的なインフラの延長線上に再構築する。この駅を貫く設計思想だ。
リヤド地下鉄の総延長は約176キロメートルに及び、85の駅を設ける。2025年1月に全線開業したリヤドメトロは、建設費225億ドル(約3兆3750億円)を投じた、世界最長の無人運転地下鉄システムだ。東京メトロ全9路線の総延長に迫る路線網を、一度に開通させたことになる。
CNNが2025年9月に組んだ特集の見出しは、「地球上で他に類のない通勤体験(Like no other commute on the planet)」だった。キング・ハーリド国際空港やキング・アブドゥッラー金融地区(KAFD)など、リヤドの主要拠点を6路線で結び、1日360万人以上を運ぶ。なかでもKAFD駅、STC駅、ウェスタン駅、カスル・アル・ホクム駅の4駅は「ランドマーク駅」に位置づけられ、それぞれ別の国際的な著名建築事務所が設計を担った。路線を乗り継げば、そのたびに別の建築家が手がけた空間に出会う。
地下鉄が変えたコミュニケーション
地下鉄の開業後、すぐに予測を大きく上回る勢いで乗客が集まった。リヤド市王立委員会は、開業からわずか11週間で利用者1800万人を突破。2025年8月には累計1億人の大台に達したと発表している。
それまでリヤドでは、移動の大半を自家用車に頼り、公共交通を利用する習慣がなかった。人を引きつけたのは、主要拠点を的確に結ぶ路線計画と、駅ごとに趣の異なる建築だろう。好調を受け、第7路線の建設計画もすでに浮上している。
一方、CNNによると、メトロが市内の渋滞を解消したかと問えば、答えははっきり「ノー」だという。メトロのほうが車より早く着ける区間もある一方、立地によってはかえって倍の時間がかかるケースもあり、移動手段として自家用車にかなわない場面が残る。
だが、渋滞とは別のところで思いがけない変化が起きている。車内はたいてい静かだが、見知らぬ乗客同士が自然に言葉を交わす場面がしばしば見られるという。暮らしぶりも出自も異なる人々が同じ車両に乗り合わせ、ふとしたやりとりから日常の会話が生まれていく。自家用車のなかに一人で座っていたら、決して生まれなかった光景だ。
本格的な鉄道網を持たなかったリヤドに、身分のまったく異なる人々が偶然居合わせ、声を交わす場ができた。地元住民の間でも、ふだん接点のない人々をつなぐ場としてメトロは評価されているという。
美しい双曲線の鏡面に映るリヤドの姿は、確かに変わり始めている。
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