多くの人がほぼ毎日入っているはずのお風呂。けれどその効能を、きちんと説明できる人は少ないはずだ。そこで開催されたのが、医学と文化の両面から、“湯に浸かる”ことの価値を見つめ直すイベントだ。
科学的に証明された、毎日湯船に浸かることの健康効果
3月某日都内にて、小山薫堂が主宰する湯道×ツムラの特別企画『ざぶんの幸せ湯ばなしの会』が開催された。「わたしたちは、お風呂でもっと幸せになれる」というメッセージを掲げ、ともにお風呂の幸せを語り、考え、そして実際にお湯に浸かって癒やされるというユニークな一夜である。第一部の「お風呂講座」には、入浴と健康に関する研究の第一人者、東京都市大学教授・医師の早坂信哉が登壇した。
20年以上にわたり約7万人を対象とした調査を続ける早坂は、講座の冒頭、我々が日々、何気なく行っている入浴の健康効果をデータで示した。「週7回以上、つまり毎日湯船に浸かる人は、週に2回以下の人と比較して要介護状態になるリスクが29%低下します。さらに、うつ状態や認知症の発症リスクも下がる傾向にある」とのこと。その最大の鍵となるのが、“身体を温める”ことだ。湯船で身体が温まると血管が拡張して血流が促進され、全身の細胞へ酸素や栄養が行き渡る。老廃物の除去も進むことで、疲労回復や慢性の痛みの緩和に直結していくという。
では、その恩恵を最大限に引き出す、医学的に正しい入浴法とはどのようなものか。早坂は「毎日40度のお湯に、合計10分間、肩まで全身浴をするのが基本」と推奨する。40度という温度は、心身をリラックスさせる副交感神経のスイッチを入れる最適なラインだという。10分浸かることで深部体温は約0.5度上昇し、「入浴から約1時間半後、体温が下がってきたタイミングで布団に入ると、極めて質の良い睡眠が得られる」と、就寝前のルーティンとしての有効性を力説した。
一方で、シャワーだけで済ませる入浴スタイルには警鐘を鳴らす。シャワーのみでは深部体温が十分に上がらないためだ。「身体を洗う際もゴシゴシこすらず、湯船に浸かって角層を柔らかくしてから優しく洗うのが肌に良い」と、身体に負担をかけない正しい入浴法を改めて呼びかけた。
小山薫堂、林真理子らが、個性豊かな“お風呂愛”を語る
続く第二部では、「ざぶんの幸せ 〜お風呂の幸せをもっと感じるには〜」をテーマにトークセッションが繰り広げられた。湯道の家元、小山薫堂をはじめ、作家の林真理子、漫画家の辛酸なめ子、そしてツムラ社長の加藤照和が登壇。それぞれの個性的な入浴スタイルが明かされた。
日本の入浴文化を「湯道」として提唱し、「湯道とは作法ではなく、湯に向かう姿勢のこと」と説く小山は、浴槽で過ごす時間を自己省察の場に重宝しているという。「お風呂に入ったときに、その日関わった人や出来事への感謝を反芻する癖がある。そうすると、お風呂が心を豊かにする場所になっていくんです」と自身の哲学を語った。
対して林は、「シャワーだけで済ませる人が信じられない」と微笑みつつ、毎晩必ず42度のお湯に40分から1時間ほど浸かる自身のルーティンを紹介。「濡れても気にならない週刊誌を持ち込んで、ゆっくり読むのが至福の時間」と、日常における贅沢な過ごし方を明かした。
セッションの中盤、話題は日本の入浴文化を根底で支えてきた入浴剤のルーツへ。加藤は、ツムラが1893年に発売した婦人薬の製造過程で生じる生薬の切れ端を、社員が持ち帰って沐浴に使ったエピソードを披露。「身体の芯から温まると評判を呼び、銭湯から要望を受けて供給を始めた。浴剤中将湯(よくざいちゅうじょうとう)といって、それが現在の入浴剤のルーツです」と、現代のサステナブルな発想にも通じる誕生秘話を語った。
続いて「人生最高の一湯」を問われると、登壇者たちの非日常的な体験が次々と飛び出す。小山は屋久島にある「平内海中温泉」での神秘的な体験談を披露。「海の岩場にある温泉で、夜に行くと潮が満ちて海と湯船が一体化するんです。満月が海に描く『月の道』を眺めることができたのは、最高の体験でした」と振り返る。
トークの終盤になると、お風呂がもたらす精神的な浄化作用へとテーマが深まっていく。古来、温泉は神社に参拝する前の「みそぎ(清め)の場」として用いられたという歴史的背景に小山が触れると、辛酸は「現代人にとっても入浴が極めて有効なメンタルケアとして機能していると思う」と共感。「お風呂は日々の色々な念や邪気を落としていく、人生の浄化のような時間。視覚情報を遮断する暗闇シャワーも、脳や自律神経を休めるのにおすすめです」と、現代社会を生き抜くための独自のアプローチを提案した。
林もまた、「世界に様々な困難がある中で、安逸な眠りの前にきれいで温かいお風呂に入れるのは本当にありがたい。毎日その幸せを噛み締めている」と、日常的にお湯に浸かれる環境の尊さを改めて噛みしめた。
科学的なデータに裏打ちされた身体への効果から、心を静め、自然と繋がる文化的な営みまで。当たり前のように存在する“お風呂”だが、その湯に身を委ねる時間は、現代人にとって不可欠なプロセスであることを再認識させられた一夜となった。