ハート模様が目を引く上写真のニットはイギリス人デザイナー、ヴィヴィアン ウエストウッドの1980年代前後のもの。製造したのは同国のニットメーカーであるジョン スメドレー。ウエストがコルセットのようにシェイプされたスタイリッシュな女性用ウェアである。
「ヴィヴィアンはビクトリア時代の下着からインスパイアされたデザインが得意なデザイナー。ファッショナブルなこのニットは、ジョン スメドレーの工場で働く当時の職人たちにはショックだったでしょうね。こんなものを作らされるなんて(笑)」
このようにユーモラスに語ったのは本国のジョン スメドレーに15年間務める、アーカイブ資料の専門家「アーキビスト」であるジェーン・ミドルトン-スミス。このたび貴重な現物を自ら持ち運んで日本にやってきた。過去をお披露目するショップイベントを開催するためである。
ここに掲載する記事の内容は、ジョン スメドレーの会社全体に投げかけたQ&Aの回答と、ジェーンのアイテム解説とで明らかになった同ブランドの知られざるヒストリー。なぜニットの有名ブランドになったのか?どうやって高いクオリティを維持したのか?日本人は大正時代からジョン スメドレーを愛していた!?それらの秘話を紐解いていこう。
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「シーアイランドコットン」が“ジョンスメ”の代名詞になった理由
「シーアイランドコットン(海島綿)こそが世界最高の高級綿」。このような綿素材があること、それが高級品であることを日本人に教えてくれたのがジョン スメドレーだった。時代は1980年代のこと。さらに「シーアイランドコットンの代表ブランドはジョン スメドレー」という公式ができあがり、「いつかは一着」の憧れブランドになっていった。
このファッション知識は正しいものなのだろうか?その疑問を同社に尋ねてみた。返ってきた回答は以下の通り。
「当社の工場自体がコットンの紡績から始まっています。記録によれば1790年以降、一貫して最高品質の綿を仕入れています。中でも最上級の綿糸は、もっとも長い繊維を持つ『ゴシピウム・バルバデンセ』から作られています。これこそが同社が使用してきた『ジョン スメドレーズ シーアイランドコットン』です」
ジョン スメドレーがメジャー化した80年代は、世界中でデザイナーズブームが巻き起こった時代。イギリス本国ではヴィヴィアン・ウエストウッド、ポール・スミス、マーガレット・ハウエル、キャサリン・ハムネットといった若きデザイナーが台頭。彼らのニット作りを支えたのがジョン スメドレーの工場だった。しだいに製造者の名も世界のファッション業界で知られていった。
この勢いを受けジョン スメドレー自身も本格的にファッション領域に進出。オリジナルブランドのデザイン力を高め好感度な人々の心を掴んだ。日常的に着る服へ関心が深い日本のマーケットでも大きな支持を集める結果に。なかでもシーアイランドコットンのニットが「いつかはほしい」憧れの一着になった。
当時を代表するアイテムは、スポーティなポロシャツを上品にアレンジしたポロニット。ポロシャツはかつての男性の必須ワードローブである。春夏向けの綿素材がジョン スメドレーの代名詞になった理由のひとつは、トラッドな装いに新しい息吹を運んでくれたからに違いない。
ジョン スメドレー自身は、ブランドとして確率した時期を90年代後半と考えている。80年代の狂騒的なデザイナーズ人気が一段落して、ストリートスタイルが若者の心を掴んだ時代である。
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家族経営で地に足をつけた、顧客を安心させるビジネス
ニットの編地には、細いハイゲージ、太いミドルゲージやローゲージなど様々なタイプがある。それぞれ専用の機械が必要なため、工場によって得意不得意がわかれる。ジョン スメドレーは長い歴史において繊細なハイゲージを極めてきた。そのことが「優雅で品のいいニットブランド」というパブリックイメージを生み出した。
「当社は過度な拡大や、無謀な成長を避ける慎重な姿勢の会社です。現在も家族経営を維持しており、株主は常に次世代への継承を意識しています。こうした姿勢が継続性を生み、それが顧客にとっての安心感やブランドの信頼性につながっているのではないでしょうか」
Q&Aの回答でジョン スメドレー社がブランド戦略をこのように説明。地に足をつけ上質なニットを真摯に作り続けるスタンスが成功した一因のようだ。
「同社は常に“最高のニットウェア”を目指してきました。最高品質の原材料を使用し、長年勤務する安定した職人たちによって伝統的な技術を実践してきました。さらに新しい機械への投資も継続的に行い、19世紀の手編み機から21世紀のコンピューター制御のフラット編み機、Vベッド編み機へと進化させてきました。同社は革新そのものを生み出す企業ではありません。しかし技術革新をいち早く取り入れるのです」
王室御用達(ロイヤル・ワラント)を授与されていることも、信頼の証のひとつ。過去には2013年にエリザベス女王から、21年に当時のチャールズ皇太子から授与されている。ロイヤル・ワラントは認定した人の逝去などで無効になっていくが、24年にはイギリス国王になったチャールズ3世が再びジョン スメドレーに授与。イギリス王室の“お墨つき”は現在も続いている。
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ルーツは王室や皇室に納めた下着にあり
創業時から貴族や富裕層向けの高級市場を志向していたジョン スメドレーは、「フルファッション製法(身体の自然な曲線に合わせて編む技術)」を得意とし、メリノウールなどの獣毛の下着を編んでいた。庶民が粗い綿やリネンの布を下着として身につけていた時代である。男性用ではロングパンツ(後のロングジョン)が初期の製品だった。
この男性用下着は「ビキューナ」という、カシミアより細い長繊維で作られている。編まれたのは20世紀初頭のこと。この時代のジョン スメドレーに、これほど細い糸を編める技術があったのだ。アンデス山脈の高地にだけ生息する野生動物(家畜化できない)であるビキューナは、収穫が困難で採れる毛もわずか。「繊維の宝石」と呼ばれるほど希少であり、価格も桁違いに高価である。
「日本から365点もの大量注文があった」と記録に残るこのロングジョンは、大正時代の皇室関係者からの発注と推測される品。戦前の日本においてジョン スメドレーを知る人たちがいて、贅を尽くした品を入手していたことにも驚かされるエピソードだ。
最後にもうひとつ、日本とジョン スメドレーとの古い関係を物語るアイテムを紹介しよう。アーキビストのジェーンが同社が所有する13,000点以上にも及ぶアーカイブコレクションから選び抜いて日本に持ってきたものだ。
なんとウール製の襦袢(じゅばん)である。着物の下に身につける、下着に相当するアイテム。着丈が短いため、肌襦袢(はだじゅばん)と長襦袢(ながじゅばん)の中間に位置する半襦袢(はんじゅばん)に近い。袖と裾がリブのニットウェアで、まさしく和洋折衷アイテム。
「タグから推察するに、20〜30年代のオーダーメイド品と考えられます。より古い時代の可能性もあります。脇下に通気用の穴あきが施され、シルク布でパイピングした贅沢なニットです」
ジェーンがこのように解説したニットは、当時の日本で作れなかったからこそ遠く海を隔てたニット会社に発注したのだろう。上流階級の人たちが紳士の国であるイギリスに何を求めていたのかが伺える下着である。
時代が移り変わり上質な糸のニットウェアが安価に手に入るようになった現代の日本でも、ジョン スメドレーが有する歴史と品格は輝きを放っている。同じニットでもわたしたちはなぜジョン スメドレーに憧れるのか、今回の記事がその疑問の答えの手助けになれたなら幸いだ。
JOHN SMEDLEY
www.johnsmedley.jp
ファッションレポーター/フォトグラファー
明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
ご相談はkazushi.kazushi.info@gmail.comへ。
明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
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