「平安貴族のおじゃる丸が、なぜ現代にいるのか」あなたは説明できますか?【はみだす大人の処世術#42】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之
Share:

Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第42回のキーワードは「起源の消失」。

01_c.jpg

子どもが生まれてから、毎朝一緒にNHKのEテレを観ている。およそ30年ぶりだ。

保育園へ子どもを連れていく直前、8時25分から流れているのが『おじゃる丸』だ。おじゃる丸は(おそらく)平安貴族の子どもで、電ボという(おそらく)ホタルを連れ歩いている。このおじゃる丸が月光町という現代日本の街の住人たちといろんなことをするアニメだ——と書いても、『おじゃる丸』を観たことがない人からすればよくわからないだろう。しかし安心してほしい。数カ月、毎日のように観ている僕も、『おじゃる丸』がなんなのかよくわからないのだ。

設定の説明に「(おそらく)」という言葉を連続して使ったことからもわかる通り、まず僕はおじゃる丸が何者なのかわかっていない。電ボにいたっては、どれほどの知的能力があるのか(そもそも虫なのか)もわかっていない。『おじゃる丸』を解釈する上でさらにややこしいのは、月光町ではなんの断りもなく鬼の3人組が登場したりもする。電ボが普通に飛んでいることが許されているのは百歩譲っても、人外であるはずの鬼がどこから来たのか、どういう理屈で街に溶け込んでいるのかもわからない。もっとややこしい話をすると、唐突に昔話やSFが始まったり、異空間を舞台にした話が始まったり、平安時代が舞台になったり、平安時代を舞台にした『おじゃる源氏』という源氏物語のパロディ作品が放送されたり、作中に郷ひろみが出てきたり、とにかくどういう設定のどういうリアリティなのかがわからない。オープニング曲には、おじゃる丸の両親やおじゃる丸が居候している家の子どもが出てくるのだが、本編に登場しているのを観たことがないので、彼らが何者なのかは未だにわかっていない。

というように、『おじゃる丸』は非常に難解なアニメなのだ。最近会った人にはこういった疑問(そもそもおじゃる丸は何者でどんな目的があるのか。平安貴族がなぜ現代にいるのか。電ボや鬼は何者なのか)をぶつけている。しかし不思議なことに、『おじゃる丸』を観ていた人は多いのだが、僕の質問に答えられた人はひとりもいない。

たとえば、同じような長寿アニメである『名探偵コナン』において「コナンは何者でどんな目的があるのか」という質問をされたら、ほぼ全員が正しく答えられると思う。この違いはなんなのだろうか。

『名探偵コナン』のアニメでは、冒頭で必ずコナンが小学生の身体になってしまった経緯が語られている。つまり視聴者はコナンが最終的になにを成し遂げたいのかを知った上でアニメを観ることになる。『おじゃる丸』にはそういった演出はない。『おじゃる丸』の初回放送からは27年以上が経っていて、第1話を観た人やその内容を覚えている人がほとんどいないので、(僕や僕の子どもを含め)おじゃる丸が何者かわからない状態で視聴せざるを得ないのだ。

『それいけ!アンパンマン』は、『おじゃる丸』と『名探偵コナン』のちょうど中間だと思う。アンパンマンが何者かは本編でいちいち語られないが、YouTubeを観てみるとアンパンマン誕生の経緯を描いたアニメがアップされている。

何百回、何千回と放送が繰り返されていく中で、起源そのものが忘れ去られていく構図は、実はキリスト教の聖書なんかと似ているのかもしれない。長い間愛されている作品を『おじゃる丸』型と『名探偵コナン』型に分けてみるのも面白い。たとえば、『サザエさん』はどうだろう。サザエさんはマスオさんとどのようにして出会い、結婚することになったのか。そもそもその経緯が描かれているのだろうか。

小川 哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー。『ゲームの王国』(早川書房)で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。本連載を再編集した『斜め45度の処世術』(CEメディアハウス)が発売中。

関連記事