20世紀を代表するイギリスの陶芸家、ルーシー・リー(1902-1995)の国内では約10年ぶりとなる回顧展が、東京都庭園美術館にて開催されている。アール・デコ建築の本館の邸宅空間と、リーが生み出した凛とした器の数々が響き合う光景は、ここでしか出合えない唯一無二のもの。実際の展示風景とともに、その見どころをお伝えしたい。
アール・デコの邸宅と、若きリーの意外な接点
アール・デコの意匠に彩られた本館の大広間と大客室に足を踏み入れると、そこにはリーを代表する器が並んでいる。そもそもアール・デコという呼称は、1925年にパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博覧会)に由来する。施主の朝香宮鳩彦王と允子妃が会場を訪れ、帰国後にフランスのデザイナーたちを設計に迎えたことから、本館はその名で呼ばれるようになった。
この博覧会のオーストリア館には、当時ウィーン工芸美術学校の学生だったリーが、クラスメイトと制作した陶製の人形像が展示されていた。またパヴィリオンの設計を手がけたヨーゼフ・ホフマンは同校の教授であり、ウィーン工房を率いた人物でもある。当時の会場地図によると、オーストリア館は日本館のすぐ隣。もしかすると朝香宮夫妻も若きリーの作品と知らぬ間にすれ違っていたかもしれない。邸宅という暮らしの空間でリーの器と向き合いながら、そんな時を超えたつながりに想いを巡らせてみたい。
ウィーンからロンドンへ、リーを形づくった芸術家との出会い
ルーシー・リーは1902年、裕福なユダヤ系家庭に生まれ、ウィーン工芸美術学校でミヒャエル・ポヴォルニーに陶芸を学ぶ。当時のウィーンでは、生活のあらゆる領域を「総合芸術」として捉え、上質な手仕事と機能美を結びつけようとした「ウィーン工房」の作家たちが活躍。リーもその時代の空気を吸収しながら創作の道を歩みはじめた。1938年、ナチスの迫害を逃れてロンドンへ渡ったリーは、イギリス陶芸界の中心人物バーナード・リーチと出会う。戦時中は生計のため陶製ボタンを制作し、その手伝いに訪れた青年ハンス・コパーとの出会いが、後の作陶活動を大きく後押しすることとなった。
このボタンがことさらに魅力に満ちている。陶製のボタンはリー自身がアトリエで一つひとつ手作業で仕上げたもの。やがて需要が高まると、石膏の型を用いてシンプルな形を量産する工程へと移行する。一方でガラスのボタンは、友人の営む工房で作られたと考えられている。形、色彩ともに、それ自体がまるで貴石のように美しい。
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東洋の陶磁に触発された、イギリス陶芸の探求
ホワイトキューブのギャラリーが広がる新館では、東洋との関わりを示すリーの作品が紹介されている。渡英した当時、バーナード・リーチをリーダーとするスタジオ・ポタリーの陶芸家たちは、イギリスにおける表現の可能性を探るなかで、日本、中国、朝鮮の陶磁器を参考にしていた。
1952年にイギリスで開催されたダーティントン国際工芸家会議には、日本から柳宗悦と濱田庄司が招かれる。リーと二人の出会いは、自宅に招き入れるほどの交友関係へと発展していった。リーの作品と東アジアの造形にはどのような共通点があるのだろうか。それを探るべく、リーチとその妻ジャネット、そして濱田の作品にも目を向けていきたい。
国内コレクションで辿る、リー人気の軌跡
リーが1970年以降に手がけた鉢と花器の数々がフィナーレを飾っている。小さな高台を特徴とする優雅なフォルム、マンガン釉や掻き落としの文様など、今日「リーらしさ」として知られる様式は、この時期に確立されたものだ。
日本でリーの作品が広く親しまれるきっかけとなったのは、1989年に草月会館で開かれた展覧会である。リー自身は来日経験を持たないが、イギリスで彼女の作品に魅了されたデザイナーの三宅一生が工房を訪ね、個展の開催へとつなげたという。その後、2010年、2015年と大規模な展覧会が重ねられ、リーの人気は年々高まりを見せている。国立工芸館(金沢)に寄託された井内コレクションをはじめ、国内に所蔵されるリーの作品が一堂に会した本展にて、その静謐な美の世界に浸ってほしい。
『ルーシー・リー展―東西をつなぐ優美のうつわ―』
開催期間:開催中〜2026年9月13日(日)
開催場所:東京都庭園美術館
東京都港区白金台5–21–9
開館時間:10時~18時
※8/7、14、21、28(金)は夜間特別開館のため21時まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月 ※7/20は開館、7/21は休館
観覧料:一般¥1,400
www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/lucie-rie/




