暑い夏、涼しげな南極の写真に、「ココで働けたら……」なんて夢想する人もいるかもしれない。実は南極で働くことは夢物語ではない。南極地域観測隊は、さまざまな職種のエキスパートで構成されている。自らの腕を試すべく参加した4人の観測隊OBが、普段の会社員生活では体験できない基地での感動にあふれた暮らしを振り返った。あなたも挑戦してみては――。
「南極」と聞いて、なにを思い浮かべるだろう? 南極にいま、人は旅することができるようになった。ならば、南極へはどんな行き方があるのだろうか? 南極にはなにが待っていて、どんな景色が見えるのだろうか? 全身で南極を感じたとき、人はなにを想うのだろう――。
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「南極観測隊募集」の社内告知に、気づいたら手を挙げていました
——みなさんは南極地域観測隊(以下、南極観測隊)の越冬隊員として昭和基地で1年間仕事をされた経験をお持ちです。どのようなきっかけで隊員になられたのでしょうか。
東海林 最初のきっかけは小学校の時に見た映画『南極物語』です。世界にはこんな場所があるんだ!と感銘を受けました。社会人になって三機工業という会社に就職したら、南極観測隊の隊員を募集していると知って、憧れが甦ってきた。南極に行った同期の話を聞くうちに、行ってみたい気持ちが強くなり、手を挙げました。
北村 私も同じくKDDIの社内公募です。一度、厳しい場所で挑戦してみたかったんです。自分を成長させたいというか。
東海林 かっこいいですね!
北村 でも思ったより快適で(笑)。非常にいい仲間にも恵まれたので、全部が楽しかったです。仕事をしに行っているんですけど、オーロラは見られるし、太陽が沈まない日も体験できたし。普通のサラリーマン生活でそういう経験はできないですよ。
東海林 オーロラが出たときは最初みんなカメラを持ってガーッて外に見に行きましたけど、最後の方は飽きてましたね。飽きるぐらい出てた(笑)

東海林 貴(とうかいりん たかし)●三機工業コーポーレート本部・広報IR部に勤務。長年の夢を叶えるべく、第66次越冬隊に参加。機械隊員として空調、給水、消火等の機械整備全般を担当した。南極の生活に欠かせないインフラを守るため、日夜気の抜けない日々を送った。
福田 私は勤務先のミサワホームが昔から南極の基地建設をサポートしていて、自分も20代の時に自然エネルギー棟の仕事に携わったのがきっかけです。そこで南極に行った方たちの話を聞いているうちに興味を持って。関わった建物が南極で建設されている姿を見てみたくなりました。実際、現地の建物を見た時は感動しましたね。

福田真人(ふくだ まさと)●ミサワホーム総合研究所 領域創生センター極地住環境技術研究室室長兼R&D戦略室勤務。2015年第57次越冬隊に建築隊員として参加。昭和基地の4つの観測棟を統合した建屋の建設に携わる。イベント係としても大いに活躍した。
藤野 私は20年前、48次越冬隊として参加したときは民間の会社員として、みなさんと同じように社内で応募しました。「こんなに面白い仕事があるんだ!」とすっかり南極に魅せられて、晴れて15年前に国立極地研究所(以下、極地研)に転職したんです。極地研から派遣される隊員は公募制ではなく、目的に応じて必要な人材が選ばれています。私は次が3回目ですが、3回も4回も行っている人がいっぱいいます。

藤野 博行(ふじの ひろゆき)● 2011年に民間企業から国立極地研究所に転職。現在は南極観測センター設営業務担当マネージャーとして勤務。第48次越冬隊、第54次夏隊では機械部門を担当し、内陸部のドームふじでの経験を持つ。今年、第68次越冬隊隊長として渡航予定。
——いっぱい南極に行きたい人は極地研に入るのが近道ということですか?
藤野 三機工業さんやKDDIさん、ミサワホームさんなど企業から専門家として行くのもひとつの道だし、料理人や医師、環境保全などは公募からの道もあります。自分の専門分野をつくって、南極で仕事をしたいという志があれば道は開けるんじゃないですかね。
隊員全員の身の安全を守る、プレッシャーがものすごかった
——南極ではそれぞれ専門分野のお仕事をされるのですか?
北村 はい。私はLAN・インテルサットを担当しておりました。日本と昭和基地、南極観測船「しらせ」を結ぶ衛星回線があるのですが、その設備の保守を行いました。いまは昔と比べてネット環境もかなり整備されて、南極でも日本と遜色なく通信できるんですよ。

北村 剛祥(きたむら たけよし)●KDDIソリューション推進本部、公共ソリューション統括部に勤務。2025〜26年に第66次越冬隊に参加し、LAN・インテルサットを担当。基地生活では理髪係をはじめ、各業種の仕事をサポートした。チームのムードメーカー的存在。
福田 私が南極に行った頃はLINEがそれほど普及していなかったので、家族の顔が見られるのは年に1度開催される家族会だけでした。テレビ会議システムで日本とつないでくれるんですが、ほかの越冬隊員たちが見ている中で「はい、喋ってください」と(笑)
北村 それはやりにくい(笑)
東海林 私は機械隊員として、基地内の空調、飲み水の給水、暖房や消火設備の維持管理を行いました。日本での勤務は現場よりも管理業務がメインだったので、実際に手を動かして配管のネジを切ったりダクトを吊ったり、ポンプを修理したりすることはなかったんです。ところが南極では私以外プロはいませんから、正直、不安でした。もちろんみなさんにいっぱい手伝ってもらいましたよ。
藤野 水と空調が止まったら生活できませんから協力します(笑)
東海林 設備の警報アラームがいっぱいあるんですけど、不具合が起きたらもう昼でも夜中でもお構いなしに鳴るのがキツかった!
北村 あれ? 熟睡しているようでしたけど(笑)。そんなプレッシャーがあったんですね。
東海林 警報アラームのほとんどが設備系だったから、うちのでなければいいと思ってました(笑)
福田 私は設営部門の建築作業の担当で、別々だった4つの観測棟をひとつに統合した基本観測棟の建築に携わりました。夏はずっと建築作業で、冬は基地やソリの修理・メンテナンスを行いました。私は日本では注文を受ける立場だったので、南極での大工仕事はかなりのプレッシャーでした。翌年はバリバリの大工さんがミサワホームから派遣されて、基本観測棟の建設を引き継いでくれました。
北村 私もお手伝いをしましたが、大工さんは命綱はつけていますが、細い足場をポンポンとハンマーで叩いて渡ったり、軽々と作業するんですよ。建築の専門家はすごいと思いましたね。見る見るうちに建物が出来上がっていく。
福田 日本では自分の身だけ守っていればいいけれど、南極ではみなさんに手伝っていただくので、関わる人全員の安全を確保しなきゃいけない。結構大変なんですよ。だから、社内でもエース級の大工さんを派遣してました。
全員 エース級!(どよめく)
福田 夏期でも建築隊員は3人ぐらいしかいないので、みなさんに手伝ってもらいながらも厳しい天候の合間を縫って、わずかな日数で建物を完成させないといけない。現地での組み立て作業を簡易化するため、一度国内で組み上げる「組み立て訓練」も行います。いまは35トンクレーンが使えますが、初期の頃は壁や床を組み立てるのもほぼ人力だったと聞いています。第1次南極観測隊が昭和基地を建設する際、プレハブ建築が採用されましたが、地球上で最も過酷な環境に耐え抜いたこの工法が大躍進する原点となったんですよ。
——南極での活動が日本の技術の発展に貢献しているんですね。
福田 そうですね。ブリザードの時とか、シャッターの隙間から容赦なく雪が入ってきても気密性を保たなければいけないし、厳しい天候から隊員たちの命を守らなきゃいけない。そうやって極限に挑戦し続けた結果、自然と技術が上がってきた。南極から国内に還元された技術もあると思います。
東海林 三機工業では、極地研とビル・エネルギー・マネジメントシステム(BEMS)の共同研究を行っています。日本と南極をリアルタイムでつないで、設備のエネルギー量や電気消費量などのデータを取り、日本から監視できるようにするんです。
全員 へえ、すごい!
北村 我が社の通信を使って(笑)
東海林 はい、そうです(笑)
——各社の技術が関わり合って、南極で成果を生んでいるんですね。まさに、オールジャパンですね。
福田 そうですね。日本で仕事をしていると同業者と働くことが圧倒的に多いのですが、南極では専門家は私ひとりだけという状況なので、自然とほかの業種の方との関わりが深まっていくんです。
藤野 隊員も隊長も、メンバーは毎年新しく組織されますから、ほとんどの方が初対面となります。夏隊が引き上げると、残された越冬隊は30人ほど。1部門につき担当者1名が基本なので、ひとりあたりの仕事量には限界があります。みんなに手伝ってもらうことが前提なので、声掛けしやすい環境をつくることが大切です。
厳しい環境のはずが、料理がおいしくて太ってしまった
——基地での日常生活はいかがでしたか?
東海林 過酷な生活を想像していたんですが、意外と便利だなっていうのが正直なところです。365日24時間お風呂にも入れるし、ネットも自由に使えるし。ただし、ブリザードのときは外に出られません。外からはゴォーとものすごい音が聞こえてきて、建物もゆれるので、ちょっと怖いです。
福田 食事がとにかくおいしい。夏は海上自衛隊、冬は越冬隊に応募されたプロのコックさんがつくってくれるんです。確実に太ります(笑)
北村 海鮮丼とかおいしかったですね。冷凍ですけど、いくらとかウニとかのってましたよ。
東海林 任期終盤にありましたね! 最後は食材を余らせないように、豪華な食事が次々と……(笑)
藤野 野菜は生野菜が手に入らないので、基地で栽培しています。南極では専門職のほかに生活まわりの係を決めるんですが、野菜を育てるのは農協係の仕事です。
北村 私は理髪係でした。100回くらいカットしてます。練習したのは半日だけですが(笑)
藤野 南極での生活を維持する上で特に大変なのが環境保全隊員です。毎日出るゴミを集積所に集めて焼却して、灰にして日本へ持ち帰るんですけど、その焼却炉の場所が離れていて運ぶのが大変。生活排水も浄化槽できれいにしてから海へ捨てますが、浄化槽のメンテナンスもしながらなので休む暇がない。
東海林 ゴミの分別がすごく厳しかったですね。リサイクルできるものは日本に持ち帰ってから回すので、そのために30種類くらいに分けるんです。瓶と缶と……多すぎていまはもう言えない(笑)
藤野 ガラス瓶などは細かく砕く、段ボールは圧縮して容積を小さくする、燃やせるものは燃やして灰で持ち帰るなど徹底しています。
北村 環境保全の担当隊員を支援することになったときは大変でしたね。ほかにもお医者さんの手伝いや、いざという時のためにレスキュー訓練もやったなぁ。
自分の仕事がみんなの役に立つ、それが南極観測隊の醍醐味です
福田 私はイベント係を担当しました。南極では1カ月半の夏と、それ以外はひたすら冬が続くので、季節を思い出すために、毎月イベントを開催するんです。特に力を入れたのが花見。合板をくり抜いた木にピンクのティッシュの花をつけて桜の木をつくるんです。3月30日ぐらいから毎日「桜前線が北上してます」って新聞をつくって前振りしておいて、最後、花見が開かれるという(笑)
東海林 桜の木は歴代の方々が残してくれていて、いまもちゃんと受け継がれてますよ。
福田 あと、2016年はリオデジャネイロオリンピックが開催された年だったんですが、当時はネット環境がよくなかったので、観られないのが悔しくて。自分たち30人でオリンピックをやりました。居住棟ごとに4チームに分かれて卓球大会。基地の中でやればいいのに外でやった(笑)
東海林 私たちの隊ではサッカーやドッジボールもやりましたよ。
福田 イベントになるとコックさんが特別にご馳走をつくってくれるのですが、非常に手間暇をかけたクオリティの高い料理が出てくるので、それに見合ったイベントにしなくては、と勝手にプレッシャーを感じて気が抜けなかった!
北村 花見、七夕、クリスマスと本当に楽しかった。仕事で来ているのを忘れてしまうくらい……。
——南極での生活で特に印象に残っていることはありますか?
東海林 私はアザラシの出産に遭遇したのが感動的でしたね。アザラシの集団が氷の上で血だらけになって出産していた。数日後、同じ場所に行ってみるとふわっふわのアザラシの子どもがウニュウニュと歩き回っているんです。写真を妻に見せたら「涙が出そうになった」と言っていました。
北村 家族といえば、うちでは南極の仕事についてあんまり聞かれることもなかったのですが、帰国後に中学3年生の長男の卒業式がありまして。息子が文集に書いた一言コメントがスクリーンに映し出されたんです。「お父さんが南極で挑戦しているので、自分もなにかに挑戦してみようと思った」と。話はしなくても、伝わるものがあったのかなと思います。
東海林 それはいい話だねぇ(しみじみ)
福田 私はドームふじで使う燃料を、中継地点であるみずほ基地に置いてくるという仕事をしたんですけど、この時、初めて南極の過酷さを実感しましたね。寝る時は雪上車の中ですが、燃料は大事なのでエンジンを切る。だから非常に寒い! 保存液に入れたコンタクトレンズも凍っちゃうから、脇の下に容器を入れて寝ました。
藤野 ドームふじのあたりの標高はいちばん高いところで3800mですから、夏でも気温はマイナス30〜40度ぐらいまで下がります。空気も薄い。10m離れたトイレに行くだけでも息が切れてゼーゼーしますよね。環境が全然違う。目に映るものは白と青の世界だけ。そこをひたすら1カ月近く車で移動しているだけなんですよ。
——それは感動しますね。
藤野 最初だけ(笑)。まぁ、仕事なんで(笑)
北村 氷海の魚から検出される海洋プラスチックを調査している方と一緒に魚を釣ったり、海氷を2mくらいくり抜く作業をしたのも面白かったです。とにかく力仕事はなんでもやりましたね。人の仕事を手伝うのは毎日転職しているみたいで面白かったです。
——改めて南極での経験を振り返って、南極観測隊を目指す人にメッセージをお願いします。
北村 南極では本当に貴重な体験ができましたし、素晴らしい仲間にも恵まれました。南極に行きたいと思っている方は、どうかその気持ちを大切にして諦めず、何度でも挑戦してほしいと思います。
東海林 現地では必ず仲間が支えてくれます。意見や考え方が違うときこそ、相手に寄り添う気持ちがあれば、良い関係性が築けるはずです。
福田 越冬隊は1年間、30人で閉鎖空間に暮らしますが、私は自分の専門性がみなさんの役に立つことが楽しくて嬉しかった。上から言われてやるのではなく、みんなのためにと自ら進んで仕事をして、それが結果を生み、生きる喜びになる。
藤野 そして、ケガなく事故なく笑顔で帰ること。それも南極観測隊の仕事です。