富野由悠季監督が語る、宇宙から見た南極

  • 写真:齋藤誠一 
  • 文:藤村はるな
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南極観測船「宗谷」に、明るい未来を見た少年時代の富野由悠季。『機動戦士ガンダム』では、敵対する両軍が言葉を交わす舞台として「南極条約」を置いた。だが、いま彼が南極に見るのは、気候変動により消えゆく氷床と、世界秩序とともにゆらぐ未来の光だ。

「南極」と聞いて、なにを思い浮かべるだろう? 南極にいま、人は旅することができるようになった。ならば、南極へはどんな行き方があるのだろうか? 南極にはなにが待っていて、どんな景色が見えるのだろうか? 全身で南極を感じたとき、人はなにを想うのだろう――。

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富野 由悠季
富野 由悠季(とみの よしゆき)●アニメーション映画監督 1941年、神奈川県小田原市生まれ。『機動戦士ガンダム』をはじめ、アニメーション史に足跡を残す数多くの作品を手掛ける。2026年11〜12月には、小田原城天守閣ほかで展覧会『富野由悠季の原点—小田原から宇宙へ—』を開催予定。

富野由悠季が中学生だったころ、南極は“明るい未来”を象徴する場所だった。1956年、南極観測船「宗谷」は、第1次南極地域観測隊を乗せて東京を出港した。まだ第二次世界大戦敗戦の傷跡が残る当時の日本にとってそれは「戦後復興の象徴」、「国際社会への復帰」、そして、日本が国際的な科学観測へと踏み出す大きな一歩となった。国民的熱狂を巻き起こした宗谷の出港に、幼い富野も「南極で月面基地を建設するテストになるのではないか」と期待を抱いたという。

一方で、現在の富野が南極という地に向ける眼差しは、危機感に満ちている。その理由のひとつに、人間による環境破壊への懸念がある。現在の南極は、各国政府代表が集まる南極条約協議国会議のもと、観光船から一度に上陸できる観光客は100人までとする制限、外来種や菌の持ち込みを防ぐための徹底した除染や洗浄の義務、野生動物との距離の制限まで規制が敷かれている。すべてのツアー運航会社はそれら環境を保護するための規制を遵守しなければ南極行きは許可されない。

富野は、そうした規制があることに理解を示しながらも、商業登山の拡大により、エベレスト山頂付近で登山者が長い列をつくる現状を例に挙げ、こう続けた。

「南極条約の制限があるから、南極でそんな事態が起きていないだけでもよかったと思っています。しかし、拡大資本主義の動向というものが、現行の南極条約を踏みにじるのではないか、という恐れを抱いています」

富野が危惧するのは、それだけではない。南極は、国際社会の合意によって平和的な利用が保たれてきた場所でもある。1959年に締結された南極条約は、軍事的措置を禁じ、科学調査の自由と平和利用を定める一方、各国の領有権をめぐる主張を棚上げした。対立は解消されたのではなく、条約のもとで凍結されているにすぎない。いまの南極の存在は当たり前のものではないのだ。

「現在の国際事情を見てもおわかりでしょう? 契約とか条約というものがどれほど紙屑のように扱われているか!」

南極をめぐる条約と平和の関係は、富野が手掛けた『機動戦士ガンダム』にも登場する。宇宙世紀0079年、地球連邦軍とジオン公国軍の交渉の場として設定されたのが南極だった。

機動戦士ガンダム
『 Gのレコンギスタ』で、宇宙から青い地球を望むG-セルフ。 © サンライズ

「ガンダムで『南極条約』を地球連邦軍とジオン軍の間の停戦条約締結の場にしたのは、戦場が宇宙から地球、その中でも戦争を起こす当事者がいるのは北半球全域と考えたからです。天球の南側である南極は地球の下側にあたりますので、戦時中でも両者が外交交渉を行う場としては適切であっただろうとして“南極”としたのです」

宇宙から見た地球の中で、戦火から最も距離を置き、敵対する両者が交渉の席に着く余地のある場所。富野は南極に特別な象徴性を込めたわけではないというが、結果として、現実の南極が担ってきた、国際的に中立で平和的な役割と重なる部分がある。

環境変動が起こった地球で、氷雪の世界を生きる人々を描いた『OVERMAN キングゲイナー』、宇宙戦争による人類存亡の危機のはるか後を舞台に、宇宙から地上への再進出を物語の軸に据えた『Gのレコンギスタ』を通じて富野は人類の再生の物語を描き続けてきた。

機動戦士ガンダム
『機動戦士ガンダム』より、地球連邦軍とジオン公国軍が激しい地上戦を繰り広げたシーン。窮地のジオン軍が劇中の「南極条約」を破り水素爆弾を放つも、ガンダムが一刀両断。条約の脆さと戦争の現実を印象づける。© サンライズ

「ぼくは、一度、全滅しかけた人類、というところまで行かなければ、再生はあり得ないと考えたからこそ作品を上梓したのです」と富野は言う。だが、それら作品は、「観客から全否定された」と厳しく振り返る。そこに富野は、現代の人々の “想像力の劣化”を見る。

例として、自身ととある年下の知人との会話をあげた。「このモノクロ映画が面白かった」と富野が話すと、「色がついていないのに面白いんですか?」との一言が返ってきたという。小津安二郎をはじめとするモノクロ映画の傑作の価値は色の有無で測ることはできない。カラーとモノクロが象徴するように、現代の人々は表面的な特徴だけで、物事の本質に目を向けることをしなくなっているというのだ。

「これがキャピタリズムの本質であり、リスクでもある。ものを考えるには訓練が必要なのです」

「ぼくがきみたちに提言したいのは、“体感”から知るべき事象というものを学べ、ということです」

南極も同じ危うさをはらんでいる。南極に行き、南極を知るということは、ペンギンや流氷を愛でることではないはずだ。南極は人間のために用意された美しいテーマパークでも龍宮城でもない。そこは、国際秩序や文明の現在地を映す場所であり、地球の気候や海洋、生態系を支える、この惑星の未来を左右する巨大なエコシステムの一部なのだ。

「ぼくがきみたちに提言したいのは、 “体感”から知るべき事象というものを学べ、ということです。デスクの前で自分が使える文言だけで、PCのキーボードを叩いているだけでは、なにも見えないでしょう」

かつて希望の象徴だった南極を、いま私たちはどのように見て、なにを予見し、行動に移すべきなのか。富野の言葉は、はるか宇宙から地球を俯瞰するかのような広い視野で、南極、そしてこの惑星の未来と向き合うための想像力を私たちに求めている。

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