今年の春、東京・南青山の「鮨m」で特別な夕食会が開かれた。炙った穴子にピノ・ノワール、白味噌のソースを添えた桜鱒にシャルドネが注がれる。日本食とワイン自体のペアリングは珍しくないが、この夜のワインが特別だったのは、カリフォルニアの畑にいる時から、日本の食卓を思い描いて造られていたことだ。だしのうまみや魚介の繊細さに寄り添う一杯を求めて、畑を選び、収穫の時を見極めてきた。
造り手はザンダー・ソーレン。かつてアップル社でスティーブ・ジョブズと働き、iPodや音楽制作ソフト「GarageBand」に携わった人物だ。彼は、いま、大好きな日本料理のために、自らの名を冠した「Xander Soren Wines」を造っている。
最近、日本酒が欧米進出を目指してフランス料理やイタリア料理とペアリングする話をよく耳にするが、海外のワインが日本食へとアプローチしている事例はかなり稀有ではないだろうか。
ユネスコ無形文化遺産に登録され、世界各地で親しまれる日本食。その影響は、料理を提供する店だけでなく、海外の醸造家にも広がっていくのかもしれない。だとしたら、日本の料理人たちとの対話から育った「Xander Soren Wines」は、その急先鋒と言えるだろう。
iPod、GarageBandからワインへ。転機は京都の鮨店
ソーレンはシカゴで育ち、ギターやベースを弾く音楽家でもある。ウィスコンシン大学を卒業後、音楽とテクノロジーの分野で仕事を始めた。2001年にアップルへ入社し、カリフォルニアへ移り住む。本人によれば、アップルでの最初の役割は音楽再生ソフト「iTunes」の初代プロダクトマネージャー。同年には初代iPodを世に送り出すチームにも加わった。その後、音楽制作ソフト「GarageBand」に関わり、2011年、故スティーブ・ジョブズに紹介され、発表会のステージで実演したこともある。
約21年のアップル勤めを終え、次のキャリアに選んだのがワイン造りだった。 「リンゴからブドウへ」――彼はそんな冗談を交えて、自身の転身を説明する。ただし、退職して突然思い立ったわけではない。趣味として最初のワインを造ったのは、まだアップルに在籍していた2012年。わずか25ケース、300本からの出発だったという。
幼い頃から日本の歴史や美術、映画に親しみ、仕事で世界を回るようになってからも、日本は特別な国であり続けたが、ある時、京都の鮨店で熟成したブルゴーニュを飲んだ経験が、ワイン造りを始めるきっかけのひとつになったという。料理とともに味わった一本が、カリフォルニアで暮らす自分でも造ってみたいという思いにつながったのだ。
やがて来日するたびに自作のワインを持参し、料理人やソムリエの意見を聞くようになる。食事をしながら感想を受け取り、次のワインへと反映させていく。趣味の試みは、そんな対話を重ねながら約10年をかけて育った。アップルで仕事を続けていた年月には、日本の食のつくり手たちに学ぶ、もうひとつの時間が流れていた。
2023年4月に出荷した最初の製品は当然、ここ日本で発表した。ピノ・ノワールの赤ワインだった。初期のラインアップは、単一畑の個性を伝える「YUKI」「OLIVET LANE」と、複数の畑を組み合わせた上位キュヴェ「LUDEON」などで構成された。「YUKI」は2019年産、「LUDEON」は2020年産。熟成させてから送り出したこれらの赤が、最初のラインアップを形づくった。
鮨や刺身にも合う赤を求めて、冷涼な畑へ
ソーレンが最初の製品にピノ・ノワールを選んだ理由は料理と合わせる際の守備範囲が広い品種だからだという。和牛や鴨だけでなく、握り鮨や刺身まで。そのためには、果実の豊かさに加え、酸とアルコールのバランスが重要になるという。
カリフォルニアワインと聞いて、濃厚な果実味や力強さを思い浮かべる人もいるだろう。ソーレンも、日本でしばしばそうした印象を耳にすると話す。
ソーレンのピノは、この果実味の主張を抑えることで、日本食にも合うワインに仕上げているという。果実の香りを楽しみながら、酸が味わいを引き締め、アルコールの強さが料理の繊細さを覆わない。その均衡を目指している。
醸造を担うパートナーはシャリニ・シェイカー。ウィリアムズ・セリエムやROARなどで経験を積み、2015年にはサンフランシスコ・インターナショナル・ワイン・コンペティションで最優秀ワインメーカーに選ばれている。ソーレンとは2013年から一緒にワインを造ってきた。フルート奏者として活動し、音楽理論を教えていたという音楽的バックグラウンドも、ふたりを繋いでいる。
ソーレンのワインを畑ごとの個性でたどるなら、まずは畑の名前がそのまま銘柄になった、単一畑の3本がわかりやすい。
カリフォルニア北部、ウエスト・ソノマ・コーストにあるのが、日本人醸造家フリーマン昭子の手がけるユーキ・ヴィンヤード。海に近く、背の高いレッドウッドに囲まれた冷涼な畑だ。ここから生まれる「YUKI」の2021年産について、ソーレンはチェリーやコーラナッツ、クローヴを思わせる風味を挙げた。果実にスパイスが重なり、きめ細かいタンニンと長い余韻へと続く。
同じソノマでも、海沿いより東の内陸側にあるロシアン・リヴァー・ヴァレーに位置するのが、1975年に植樹されたオリーヴェ・レーン。夕方から朝にかけて海からの霧に包まれ、ブドウがゆっくりと熟しながら酸を保つ畑で、その名を冠した「OLIVET LANE」を生む。米国の飲料専門媒体Drinkhackerは2021年産を、熟したチェリーやイチゴに茶葉のニュアンスが重なり、酸の明るさが最後まで続くワインと評している。
そこから南へ、サンタ・バーバラのサンタ・リタ・ヒルズにあるのが、サンフォード&ベネディクト。1971年に植樹された、この地域のピノ・ノワールを語るうえで欠かせない畑である。海の影響を強く受けるこの畑から造る「SANFORD & BENEDICT」の2021年産は、公式のテイスティングノートによれば、チェリーやプラムにスミレ、スパイスの香りが重なり、豊かな果実味を鮮やかな酸と絹のようなタンニンが支える。
納得の一本まで、ブレンドは20回。飲み頃まで待つワイン造り
単一畑の3本に対し、複数の畑の個性を組み合わせるのが、上位キュヴェの「LUDEON」だ。名前は母のLudkaと父のLeonから取った。2021年産には、セントラル・コーストの3つの畑から6種類のクローン、つまり同じ品種の中でも特徴の異なる系統を使う。
そのひとつが、サンタ・バーバラより北、モントレーのサンタ・ルシア・ハイランズにあるシエラ・マール。標高の高い斜面にあり、午後の強い風と夜の冷え込みが特徴だ。ソーレンはこの畑のブドウを早めに収穫し、酸を残すという。
目指すのは、毎年同じ味を再現することではなく、その年のブドウから最もよいワインを造ること。その判断基準を尋ねると、ソーレンは主観的なものだと率直に答えた。自分が好きなワインであり、自分が愛する日本料理に合うこと。裏ラベルの金色の署名は、納得できる一本になったという自分の承認の印なのだと話した。
シェイカーはそれぞれを別々に発酵させ、合う樽を選んで熟成させる。樽メーカーや焼き方まで変え、料理人やソムリエの意見も聞きながらブレンドする。最終形に至るまで20回に及ぶ試行を重ねることもあるという。
飲み頃を見極めることにも時間をかける。2021年産のピノ・ノワールは、樽熟成17カ月を含め、収穫年から約5年を経て送り出した。もともとは4年程度を考えていたが、この年のタンニンの骨格がなじむまで、さらに待つことを選んだという。
桜を思わせるロゼと、同じ畑から生まれた2つの白
赤の選択肢を広げたのが、セカンドラインの「XANDER」だ。ここには、サンタ・バーバラとソノマ・コースト、それぞれの産地名を冠したピノ・ノワールがある。
「XANDER Santa Barbara Pinot Noir」は、2020年産を2023年11月に発売した。ソーレンによれば、2021年産は果実味豊かで親しみやすい味わい。餃子やうなぎ、焼き鳥など、味のしっかりした料理を組み合わせに挙げる。
もう一方の「XANDER Sonoma Coast Pinot Noir」は、若々しい果実の表情を楽しむスタイル。2022年産は熟成を長く待たずに発売したという。ソーレンが勧めるのはマグロの握りとの組み合わせで、室温より少し低めに、冷やしすぎずに楽しんでほしいと話す。米国のワインメディアSOMM TVは、この2022年産を2025年のトップ10ワインの第1位に選んだ。同媒体の評には、新鮮な赤いチェリーを思わせる風味、酸、ほのかなうまみが挙げられ、天ぷらや鮨と合わせたくなるワインとして紹介されている。
赤のラインアップを広げる一方で、料理人の友人たちから、ロゼも造らないかと声がかかった。日本の桜をイメージしたロゼを初めて手がけたのは、2024年の収穫でのことだった。翌年の収穫から造ったロゼでは、直接圧搾するダイレクトプレスと、赤ワインの仕込みから果汁を抜き取るセニエを組み合わせている。軽快に飲む楽しさを残しながら、料理を受け止める質感を求めたからだという。
常に一歩引いた目線で料理の引き立て役としての立場を再確認する奥ゆかしさに、どこか日本らしさを感じる。生の魚介料理やヴィネグレットを使ったサラダなど、酸味を利かせたひと皿にも合うという。
赤とロゼを経て、2026年3月3日、ブランド初の白ワイン2種を日本で発売した。どちらもシャルドネで、収穫年は2024年。
白ワインを望む声に応えるため、納得できる畑との出会いを待っていたという。その機会をもたらしたのは、サンタ・リタ・ヒルズのエル・ハバリ・ヴィンヤードだった。異なる系統のシャルドネを使えるこの畑から、酸を生かした引き締まった「HABARI」と、果実の豊かさと柔らかさを取り入れた「XANDER Chardonnay」という、性格の異なる2本を造った。
「HABARI」という名前にも、日本との縁がある。ソーレンによれば、畑名のエル・ハバリを日本で親しみやすい響きにしようと、日本人の友人にも相談するうち、枝葉の広がりを表す園芸の言葉「葉張り」に行き着いたという。カリフォルニアの畑の名と、日本の植物を愛でる言葉が、思いがけず重なった。
「HABARI」が目指すのは、シャブリを思わせる引き締まったスタイル。ソーレンが挙げる料理は牡蠣や貝類、刺身、塩や柑橘でシンプルに味を整えた皿だ。フランスに由来するディジョン76というクローンを使い、酸の印象を穏やかにするマロラクティック発酵を行わず、新樽の割合も約10%に抑えた。
もう一方の「XANDER Chardonnay」は、公式のテイスティングノートに、パッションフルーツやグアバ、熟した洋梨、柑橘を思わせる香りが並ぶ。発想の源はマコネの果実味とムルソーの質感だ。
こちらにはディジョン76に加え、カリフォルニアの伝統的なWenteクローンを使う。新樽比率は約30%。ワインの半分でマロラクティック発酵を行い、果実の豊かさと柔らかさを取り入れる。
取材に同席した「レコール・デュ・ヴァン」講師の谷口慎一郎は、同じ畑から異なる表情を引き出した点に注目し、「XANDER Chardonnay」にもブルゴーニュの伝統的な造りを思わせる方向性を感じたという。
穴子に赤、桜鱒に白。鮨mで味わうペアリング
冒頭の鮨mのディナーでは、造り手の意図に料理人がどう応えるのかを聞くことができた。
乾杯の2025年産ロゼは、通常の販売分がまだ船で日本へ向かっていたため、ソーレンが自ら持参したという。合わせたのは鹿児島県のアオリイカ。細かな切り込みを入れて炙り、根セロリのピューレとフランス産キャビアを添える。料理の説明によると、ゲソを炒めて取った出汁を煮詰め、屋台のイカ焼きを思わせる香ばしさを加えたという。炙った身に、煮詰めた出汁、滑らかなピューレ。同じイカの一皿にも、いくつもの香りと質感が重ねられている。
青森県の桜鱒と桜海老の料理には「HABARI」が合わせられた。桜鱒を炭火でゆっくり火入れし、海老の出汁にクリームと白味噌を加えたソース、素揚げの桜海老を添える。席では、よりバターを思わせる白ワインが来ると思った、という質問が出た。料理店側の答えは、フレッシュさを添えるため。クリームや白味噌を使ったソースに、酸を生かした白を選んだのだ。
穴子に合わせた赤は「XANDER Santa Barbara Pinot Noir」の2021年産。店側の説明では、焦がしたような穴子の香ばしさ、骨から取った出汁と醤油のソースに、ワインの熟成を思わせる要素や柔らかい酸とのつながりを見ていた。ソーレンにとっても、お気に入りの組み合わせだという。
最後には仙台牛のフィレを炭火で焼き、花山椒とたけのこを添えた皿が出た。みりん、醤油、牛の出汁を煮詰めたソース。店側は、繊細なピノ・ノワールに合わせてフィレを選んだと説明した。肉の部位を選ぶところから、添える香味、ソースの組み立てまで、ワインを迎える準備が皿の上にもある。
この皿と並んだのは「LUDEON」と、ソーレンが最初に造った2012年産のセントラル・コーストのブレンド。初作300本のうち、手元に残る約20本から2本を持ってきたという。事業になる前の一本と、いまの造りを託した一本。異なる銘柄を並べた食卓には、十数年に及ぶ彼の歩みも重なっていた。
米国より先に日本で発売。料理人との対話が育てるブランド
こうしてワインの種類を増やす間も、最初の市場に選んだ日本との関係を育ててきた。発売から1年間は日本だけで販売し、米国へ展開を広げたのは2024年6月。故郷に先立ち、長く意見を交わしてきた料理人やソムリエのいる国で、ブランドを根付かせようとした。
取材時に語った生産規模は年間600〜800ケース。小規模だからこそ、スケジュールよりワインの状態を優先して発売を判断できるという。一方で、日本での品切れや船便による輸送の時間も課題となり、輸入元とともに需要に応えられる量の確保に取り組んでいる。
本人によれば、日本での展開から3年で取扱先は100を超えた。ブランドが公表する顧客リストには、鮨さいとう、鮨さかい、鮨m、パークハイアット東京、アマン京都などの名前が並ぶ。ワインバーや小売店にも広がりがある。
谷口は、フランスワインの価格上昇を背景に、ブルゴーニュやシャブリに代わる選択肢を探す愛好家がいると説明したうえで、ザンダーのワインについて、安価ではないが、その価格帯にふさわしい品質として評価されていると話した。
日本への思いは、ラベルの色にも表れる。「XANDER Sonoma Coast Pinot Noir」の緑はモミジの葉、「XANDER Santa Barbara Pinot Noir」の赤は紅葉、「XANDER Chardonnay」の黄色は秋のイチョウ。単一畑の白いラベルには、土地の個性を純粋に表したいという考えを重ねた。
家紋を思わせるロゴには、Xの形に見える花があしらわれている。ソーレンによれば、その円と花にはスピーカーやレコードなど、音楽を連想させる形も含まれる。
さらに本人は、包装、ギフトボックスや袋、販促資材のデザインと製造を日本で行っていると説明する。日本文化はワインの名前や色の着想源であるとともに、事業を支える仕事の場にもなっている。
こうして事業を育てたいまも、食卓は彼に発見をもたらす。友人やチームと食事をする時も、彼の前には複数のグラスが並ぶ。合うと予想した組み合わせより、別のものがよいこともある。飲み比べ、食べ比べるたびに学ぶという。
日本で造られ、日本料理と楽しむ酒。海の向こうで造られ、西洋料理と楽しむ酒。その間を行き来するように、日本酒はフランス料理やイタリア料理との出合いを重ね、カリフォルニアでは日本料理のためのワインが生まれている。酒が生まれた土地と、その酒が思い描く食卓は、もっと自由な関係になっていくのだろう。
おいしいものを、もっとおいしく味わいたい。その尽きない好奇心に、人類はどれだけの知恵と情熱を注いできたことか。ソーレンの挑戦にも、そんなエピキュリアンの一面がのぞく。次のひと口を愉しむために、海を越え、畑を選び、何年も待つ。その情熱が、私たちの食卓に新しい歓びを運んでくる。
