日本の展覧会でもっとも多くの観客を集める画家は、20世紀初頭に風景画や人物画を描いたルノワールやモネたちかもしれない。明るく華やかで現実世界に近い絵は、鑑賞者と距離が近く親しみやすいもの。こうした画家と比べると、次世代となる20世紀半ばまでを生きたカンディンスキー、モンドリアン、ミロらの近代画家たちは知名度では一歩及ばないようだ。
確かに具象画と抽象画を行き来する彼らの作風は、万人受けするものではない。わたしたち鑑賞者は、描かれたモチーフさえ不明瞭な絵と向き合う。心が動かされたなら、なぜその感情に至ったのか自問自答する。近代美術には見る者に思考のプロセスを求めるハードルの高さがある。
一方でこうした画家のひとりでありつつ、とくに線画による「天使」シリーズで一般人気が高いのがパウル・クレーだ。クレーの線画はモチーフが明確で、鑑賞者がすっと入り込める。これだけでも同芸術家が愛されるのに十分な理由になり得る。
クレーのことを「カラフルな色彩の画家」として愛する人もいる。多様な作品を生み出して近代美術史の巨匠になった彼の裏側にはいったいどんな秘密があるのだろうか?
このたびそんなクレーの奥深さに触れたくて、出身地であるスイスの首都ベルンにある「パウル・クレー・センター(Zentrum Paul Klee)」を訪ねた。クレーの生涯作品の約40%を所蔵する専門の美術館&研究施設である。解説してくれたのは同センターに所属する日本人研究者である柿沼万里江(かきぬま・まりえ)さん。記事内に掲載した作品は、定期的に入れ替える常設展の一部。クレーのエッセンスがよくわかる味わい深い作品ばかりだ。

パウル・クレー・センターはベルンの旧市街から住宅地を抜け、丘の上に建つ壮大な施設。記事末で紹介するスイス旅での訪問ガイドもぜひ併せてご覧いただければと思う。
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クレーを知る5つのキーポイント
作品を眺めていく前に、スムーズな鑑賞へと誘うクレーの豆知識を5つ挙げておこう。取り急ぎ覚えておけば、どこかの展覧会でクレー作品に出会ったときも理解の足がかりになるはず。
1. キュビズム、表現主義などの芸術運動が次々に出現した時代に生きた。
2. 音楽一家に育ち、絵画に音楽のリズムがある。
3. 子どもが絵を描く雑念のない目線に憧れた。
4. 立体造形、切り貼り、経年変化といった現代美術の先駆け。
5. 作品はユーモアと風刺に満ちている。
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クレーは“線”の人。晩年にパワーが開花したその輝き

水墨画のようなかすれと、極太の線。紙は歪み、裏に描かれた絵が透けて見えている。タイトルは「池の妖精」。クレーが植物や貝殻といった自然界のオブジェクトを収集していた事実に目を向けると、このモチーフが昆虫にも思えてくる。画面に目一杯広げた大胆な構図。線はためらいなく力強い。
この絵が描かれた年は、クレーが60歳で他界した1940年。病気の「皮膚硬化症」に苦しみ描くことさえ困難で、最期を自覚していた時期だ。意外なことにこの前年となる39年は、年間で約1,200点(1日計算なら3〜4作)も手掛けるほど創造性を発揮している。最晩年に創作の境地に辿り着いたのかもしれない。
研究者の柿沼さんが作品を前にこう語った。「クレーは線の人なんです。彼が晩年の創作モットーにした古代ローマの言葉に、『線を引かぬ日はなし』というものがあります。パウル・クレーと聞くと淡い色彩の絵画が思い浮かぶ人も多いと思いますが、実は当人はずっと色彩にためらいがあった画家なんですね。晩年に向けて作風がだんだんと白黒に近づいていくのです」
「病があったからこそ線画の新しい表現を獲得できたのでしょう。病気が悪化してきた36年には年間に25点ほどしか制作できないときもありました(※ 編注:ドイツ在住時にナチス政権で迫害されスイスに戻り、生活苦にも至った多難な時代でもあった)。しかし37〜40年の4年間は不死鳥のごとく蘇りました。彼の作風であるユーモアと風刺はここでも顕在。あたかも病気に打ち勝とうとするかのごとく創作に打ち込んでいったのです」
柿沼さんの解説からもわかるように、身体に制約がありミニマル表現に至ったのだろう。それが後世に語り継がれる偉大な作品群になった。この記事の取材者も、今回の常設展でもっとも心を鷲掴みされたのが一連の線画作品だった。
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描いた絵にハサミを入れて切り貼り。実験精神の芸術
「これも面白いですよ」と柿沼さんが案内してくれたのがこの黒背景の絵。実物を近くで見た人だけが気づける、クレー制作の舞台裏を秘めた作品である。
「2つの絵をひとつに繋ぎ合わせた作品です。人形たちが描かれた上部の絵の底部に、他の絵から切り取った一部を配置して1枚の作品として仕上げています。まさしく“再構築”の手法です」
自身が描いた作品を切ってミックスするとは!クレーは冷静に作品の出来栄えを客観視する芸術家だったのだろう。
「ほかにもパズルのように3つ、4つとバラバラにしてトリミングして台紙に貼ったものなど、多くの作品でこの手法が用いられています」
コラージュともまた異なる、クレー独自の再構築技法である。
音楽様式のポリフォニーを絵画に
ドット模様が並ぶ、いわゆる点描(てんびょう)手法の作品。モチーフが明確でない抽象的絵画で、眺めていると不思議な揺らぎを感じる。この仕掛けについて柿沼さんが重要なテーマを教えてくれた。
「音楽でいうところの『ポリフォニー(多声音楽)』を視覚化した試みです。音が重なりつつも、ひとつひとつが独立して聞こえる音楽がポリフォニーで、絵画でそれを表そうとしたのがこの作品。音楽が持つ流れる“時間”の要素も表現したかったのでしょう」
制作ではまず台紙に貼ったガーゼの上にブロック状に色を塗った。その上にずらりと等間隔で白ドットを配置。さらにドットの上にオレンジ、青、赤などを塗り重ねてリズムを表現。一定の法則がある楽譜の上で様々な音符が踊るような絵画である。画家になる前からプロ級のバイオリンの腕前を持っていたクレーの音楽愛がここに。
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他人の彫刻を作品に塗り込めた!?
上のパネル写真は、クレーのアトリエの様子。中央の棚の上部にご注目いただこう。
ここに頭部の彫刻らしきオブジェクトがある。それがクレーの手にかかると……、
なんとそのオブジェを絵に埋め込み自身の作品にしてしまった!オブジェ部分は立体的に浮き上がっておりレリーフのようだ。よく見ると頭部の顔や首のアウトラインは元のオブジェと異なるから、画家が明確な意思を持ち自身の作品に作り変えたのだろう。
何世代もの時を経て表面に傷がつけば、下に埋められたものが発見されるかもしれない。芸術家はそんな未来を空想して、ニヤリと笑顔で制作したのだろうか。
柿沼さんがクレーの巧妙な仕掛けについてひとつの見解を述べた。
「現代ならコンピューターで3次元的に物事を捉えることができます。これは100年以上前に立体的に捉えた作品です。絵画は2次元だから『視覚芸術』なのですが、クレーは音楽のような『時間芸術』の要素を作品に組み込みたかったのだと思います」
時間を封じ込め、さらに時を経ることで仕掛けが明らかになる。ここにも音楽のエッセンスが活きている。
布を台紙に貼り、マテリアルの存在を見る者に意識させる
クレーは大きな絵を描かなかった画家だった。コンパクトな作品を覗き込むように見る鑑賞者は、温もり漂う筆致と向き合うことになる。
さらにクレーがよく行ったのが、画材を塗る下地(支持体)の存在も意識させること。破いたような紙や布に描き、切れ端もそのままに台紙に貼り付けた。
じゃがいもの運搬袋だった麻布をわざわざ調達してその上に描くこともあった。クレーを鑑賞するときはどんなマテリアルを彼が選んだのか、その点にも目を向けてみよう。
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幼少期の絵に番号を振って整理。アート作品には自身の評価を書き込んだ
誰でも子供時代を経て大人に成長すると、何に対しても計算や思惑が働いてしまうものだ。絵画においてはその精神性がマイナスに働くこともある。クレーは画家として活躍するようになってから、雑念がなかった幼少期の自分自身に再び目を向けた。
上に掲載したのは、クレーが4〜6歳頃に描いた絵。彼の姉が実家の屋根裏に保管していたものだ。
「トリミングして編集し、台紙に貼っています。残っていた幼少期の絵の18点だけを選び抜き、紙を小さく切って制作。30歳を過ぎてから自身で行った作業です。テーブルの椅子に座った絵を選んだり、意味が出るようにまとめています。番号までわざわざ振っているのです。5番6番7番といった具合に。1885年などの年代まで書き入れてますね」と柿沼さん。
クレーは現代的なアートビジネスの先駆者でもあったようだ。
「彼が現代アートを先取りしていた点は、販売するプロセスにもありました。管理して販売するアートビジネスも自分で行ったのです。作品に番号をつけ台帳に登録し、どういう紙を使ったか、どういう技法かも明記。どの展覧会に出したか、誰に売ったかなども細やかに。とても几帳面に管理していました」
クレーはひとり息子の育児日記も詳細なスペックを交えて記録していたらしい。記録そのものが好きな人物でもあったのだろう。
クレーの記録でさらにユニークなのが、作品の台紙に書き込んだ数字とアルファベット。販売価格の基準を彼自身が決めて、1〜8までの数字にわけた。高い数字の作品ほど販売価格が高い。売る前にその数字を台紙の隅に書き入れた。
さらに格上の作品として、「展覧会に出すが販売はしない」という、自信作であり私的な思い入れも強い「スペシャルクラス」も設けた。この作品には主にアルファベットで「SKL(ドイツ語での省略記号)」と書き入れた。
むろん現代のわたしたちから見れば数字の等級が低くてもスペシャルクラスであっても、美術品としての価値に差異はない。ただしクレーがアート市場における自身の創造をどう評価していたか知れるのは実に楽しい。展覧会などで実物を目にしたときに、台紙の隅にも目を向けると作品への理解が増すかもしれない。
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美術館横の共同墓地にクレーが眠る
「クレーの墓がすぐ外にあります。行ってみますか?」と柿沼さんが案内してくれたのが、パウル・クレー・センターの横に位置する「ショスハルデン墓地」。
墓碑にはこのような意味の言葉が刻まれている。
「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから」
墓について柿沼さんが知られざる興味深いエピソードを教えてくれた。
「2005年に開館したパウル・クレー・センターの土地は、元は個人の私有地で無償提供されたもの。横の共同墓地にはクレーの墓がありました。ただ実はその墓は当初、現在とは別の場所にあったのです。センターができたときに近くに移し替えられました」
墓を神聖なものと考える日本なら、まずNGが出そうな移転工事である。なおスイスは火葬が主流で、ここに眠るのもクレー夫妻の遺灰だ。
目にした今回の常設展のなかで、私的にも大きなインパクトがあったのがこの最晩年の作品。叩きつけたような赤と黒の色彩からは、死の気配が濃厚に漂う。しかしモチーフの人物の姿はなぜか晴れやか。笑顔でこちらに手を振っているかのようである。柿沼さんいわく、
「『わたしはもうすぐ死にますけど、さよなら!』って感じですね」
この解釈通りなら実に頼もしい最期である。むろんこの絵は真逆の見方も成立しそうだ。「誰でも死は逃れられない」とする解釈もできるはず。
それでもこの絵はユーモアのほうがネガティブな印象に勝っている。笑顔で逝ける人生を送れたら幸せだ。座右の銘ならぬ「座右の絵画」にしたくなった1作品である。
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美術館に旅する愉しみ
スイスの空気を存分に味わえるのがパウル・クレー・センターの大きな魅力のひとつ。周囲には牧歌的な景色が広がり、静かな住宅地もある。その丘陵に近代的な高速道路が通っている点も、スイスの生活シーンが感じられてヨーロッパに旅した醍醐味を味わえる。
センターに行くのはとても簡単だ。首都ベルンを代表するターミナルであるベルン中央駅から直通バスに乗ればOK。
時刻表は日本のバス路線図より見やすい。土日を含め頻繁に発車している。バスチケットをここで買うと、キャッシュレスが標準のスイスには珍しく小銭が必要になる。トラムなどを含む市内交通乗り放題の「ベルン・チケット」をあらかじめ購入しておくのがベター。なおこのチケットはベルン市内に1泊以上宿泊すると無料でもらえる。
センター近くに学校があり、取材者がベルン中央駅から乗ったときは学生たちとバスをシェア。現地の日常生活に触れた心和むひとときになった。
ベルン中央駅から美術館まではバスを利用しても、帰りは歩いて坂を下ることをお薦めしたい。おおよそ1時間強で駅に戻れる。
最大のお薦め理由は、坂の途中に世界遺産のベルン旧市街をパノラマのごとく眺められる絶景スポットがあること!
9月上旬の平日の時間帯でこのスポットにいた人はわずか数名ほど。旅行者でなく近隣住民の様子だった。ここは観光ガイドに載らない穴場かもしれない。
道を下っていけば、世界中からの観光客で賑わうニーデック橋を渡り、中世後期の建物の間を歩き続けて駅に出る。貴重な体験をぜひお愉しみを。
パウル・クレー・センターとその周辺は、たとえ絵画に深い関心がない人でも訪れる意義のあるスイスの名所である。日本から行くならチューリッヒ国際空港で飛行機を降り、スイス国鉄(SBB)の急行に乗り約1時間ほどでベルン中央駅に。そこからバスで15分ほどで着く。
それでは今回の記事の最後を、クレーに惹かれる気持ちを語った研究員の柿沼さんの言葉で締めくくろう。
「クレーの魅力は秘密を深読みしても、さらに深さがあるところです。仕掛けがたくさんあり、どの作品にも必ず制作された意図があります。研究者はそれを読み解こうとするけれど、もしかしたらその行為を当人は笑っているのかもしれない。彼は単純に『楽しんで』と思っているのかもしれないのです」
Zentrum Paul Klee
www.zpk.org
ファッションレポーター/フォトグラファー
明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
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明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
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