Pen特別企画、コンテンポラリーアートとキャデラック【Vol.1】リー・クラズナー

  • 監修:山本浩貴
  • 文:サトータケシ

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キャデラックとコンテンポラリーアートの近代史を語る特別コンテンツ。第1回は1940年代より活躍したリー・クラズナーについて。

2022年、アメリカが世界に誇るラグジュアリー自動車ブランド、キャデラックが120周年を迎えた。革新的なデザインと技術、そしてその挑戦の近代史をコンテンポラリーアートとともに振り返り、未来への試みも紹介。全6回の連載の記念すべき一回目は1940年代から活躍した、リー・クラズナーとテールフィンのデザインが美しいキャデラック・エルドラド・コンバーチブル。

アートの中心がアメリカに移った理由

第二次大戦後のアート界で特筆すべきは、その中心がフランスのパリからアメリカのニューヨークへ移ったことだろう。文化研究と美術史を専門とする金沢美術工芸大学の山本浩貴さんは、その理由をこのように説明する。

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山本浩貴

千葉県生まれ。一橋大学卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013年から18年にロンドン芸術大学TrAIN 研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。

「政治的なことも含めていくつかの事情がありますが、今回紹介するリー・クラズナーなどの抽象表現主義が、アメリカへ向かう流れをつくった理由のひとつだと言えます。抽象表現主義とは、1940年代後半にはじまり、60年代にミニマリズムとかコンセプチュアルアート、ポップアートというものが出てくるまでの期間に全盛期を迎えた動きで、ひと言で説明すると、大きなキャンバスに筆で抽象的な絵を描くスタイルが、アメリカを中心に盛んになりました」

山本さんによれば、戦後のアメリカの抽象表現主義の特徴のひとつが、女性アーティストの活躍だという。

「抽象表現主義のなかではリー・クラズナーやヘレン・フランケンサーラーなどの女性アーティストの活躍が目立ちました。アートの民主化というと言いすぎかもしれませんが、これまで男性中心だったアート界において、女性が活躍する素地が生まれたことは間違いありません」

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『Noon』1947 Lee Krasner ©︎Bridgeman/amanaimages 2022 Lee Krasner / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5011

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『Listen』1957 Lee Krasner ©︎Bridgeman/amanaimages 2022 Lee Krasner / ARS, New York / JASPAR, Tokyo E5011

リー・クラズナーがどのようなアーティストだったかを尋ねると、山本さんはこう答えた。

「さまざまな手法を採る、表現の振り幅が大きいアーティストだと言えるでしょう。ここで紹介する47年の『Noon』という作品と、57年の『Listen』という作品では、まるで手法が異なります。彼女の作風が大きく変わった背景には、ドラマティックな人生があると思います。40年代の半ばに、やはり抽象表現主義のアーティストであるジャクソン・ポロックと結婚します。結婚後はポロックのまねだと言われることに反発して、さまざまな表現手法を模索しました。ポロックが事故で亡くなるとその悲しみを乗り越えて、創作に打ち込みます。こうしてクラズナーは50年代を過ぎるとブレイク、MoMAで回顧展を開く女性アーティストの先がけとなりました。さまざまな幅の広い表現手法を採ったことや、女性アーティストの地位向上という意味で、後世に大きな影響を与えた作家と言えるでしょう」

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リー・クラズナー(1908-1984)

1908年、ロシア系ユダヤ人の両親のもと、米国ニューヨーク・ブルックリンに生まれる。10代から創作活動を開始、42年のグループ展で抽象表現主義の巨匠ジャクソン・ポロックと出会い、結婚。56年にポロックが亡くなった後も精力的に創作活動を行い、MoMAで回顧展が行われた数少ない女性アーティストとなる。 ©︎Tony Vaccaro. All rights reserved

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いち早くデザインの重要性に気づいていたキャデラック

リー・クラズナーが活躍した1940年代から50年代にかけて、自動車産業の話題の中心もヨーロッパからアメリカへと移りつつあった。なかでもキャデラックは、そのデザインと先進的な技術力で豊かさを表現、世界中から羨望の眼差しが向けられた。

それまで、馬車のスタイルの進化型に過ぎなかった自動車に、デザインという概念を持ち込んだのは1927年にGMに入社したハーリー・アールというデザイナーだった。アールは第二次大戦後、ジェット機にタイヤを装着したような未来的なコンセプトカーをデザインし、全米を巡回する展示会を開催した。折しも航空宇宙産業が注目を集めていた時期だけに、大きな反響があった。

アールの功績のひとつに、自身がデザインをするだけでなく、優秀なデザイナーを育てたことがあげられる。そのうちのひとりが、キャデラック・エルドラドのデザインを統括したチャック・ジョーダンだ。

MIT(マサチューセッツ工科大学)で機械工学の学位を取得してGMに入社したジョーダンは、チーフデザイナーを経て、最終的にはGMの副社長まで上り詰めた。当時は、デザイン畑の人間が自動車メーカーの副社長になるというのは異例だったけれど、キャデラックは自動車のデザインがいかに重要であるかを、早くから気づいていたのだ。

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1959年型キャデラック・エルドラド・コンバーチブル。キャデラックの当時の製品ラインアップにおける最上級グレードが、黄金郷を意味する「エルドラド」だった。

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排気量6384ccのV型8気筒エンジンが最高出力350psを発生、高性能かつラグジュアリーなモデル。特徴的なテールフィンのデザインは自動車のデザイン史に輝くアイコンでもある。

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1950年代のキャデラックのロゴ。高級車ブランドの最高峰として世界の憧れでもあった。

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