ドラマティックな生涯を歩んだ画家・佐伯祐三が描いた、1920年代のパリの街並みとは

  • 文:河内タカ(アートライター)

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1920年代のパリの街並みを、奔放な筆致で描いた早世の画家

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『レストラン(オテル・デュ・マルシェ)』(1927年、大阪中之島美術館)

佐伯祐三は30歳で急逝するまでの約5年間でパリに2回滞在し、ほとんどの代表作がそのパリの街を題材にして描かれたことで知られている画家だ。

東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、妻と長女を連れてパリへと向かった佐伯は、グランド・ショミエール芸術学校に通い始める。当時、セザンヌやルノアール風の絵を描いて自信もあったものの、フォーヴィスム運動をアンリ・マティスとともに率いた画家のモーリス・ド・ヴラマンクを訪れた際、「アカデミズムに染まったくだらない絵、まったく生命力がない!」と罵倒され、ショックを受けた。

それで思い出すのが、佐伯とほぼ同世代の猪熊弦一郎がパリに渡った時も、敬愛していたマティスに作品を見てもらうや、「おまえの絵はうますぎる」、つまり技術だけあって個性がないと諭され、すっかり意気消沈してしまったという話。どこか似たようなエピソードだ。

パリで自らの絵を根本的に見つめ直さざるを得なくなった佐伯は、その後彼の代名詞となるパリの街角や壁やポスターを描写した作品に取り組み始める。それらは力強く素早い筆致でありながらも、どこか暗い色彩に覆われた独特の画風へと変貌を遂げていく。

当時結核を患っていた佐伯はパリに滞在することを望んだが、兄に療養を促されて帰国。しかし、パリへの思いを断ち切れず、再びパリに戻り、まさに命を削るようにして制作を続け、やがて生前最後の作品となった『黄色いレストラン』を残して、あえなく客死してしまう。

本展では、彼に大きな影響を与えたパリ、生まれ故郷の大阪、学生時代と一時帰国時代を過ごした東京という3都市に焦点を当て、佐伯の軌跡を追う。ドラマティックな生涯を送った彼の情熱が作品から感じられるはずだ。

『佐伯祐三 自画像としての風景』

開催期間:2023年1/21~4/2
会場:東京ステーションギャラリー ※会期中一部展示替えあり
TEL:03-3212-2485
開館時間:10時~18時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(3/27は開館)
料金:一般¥1,400
www.ejrcf.or.jp/gallery

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※この記事はPen 2023年2月号より再編集した記事です。