軽井沢の奥地に、現代アーティスト・作曲家の立石従寛のスタジオがある。いまや幅広い領域で活躍するアーティストの存在はまれではないが、それでも彼の軌跡は異質だ。
これまでに英国の若手美術家の登竜門として知られる「ニュー・コンテンポラリーズ 2021」選出後、国内外にてインスタレーションなどの制作発表にとどまらず、拠点である軽井沢の自然を活かした暮らしの実験場「TŌGE(トウゲ)」や、根津のキュレイトリアル・スペース「The 5th Floor(ザ・フィフス・フロア)」の立ち上げまで携わってきた。
作曲家の顔としては、京都の清水寺境内を舞台にした没入型パフォーマンス『Re: Incarnation』(2021)、ドキュメンタリー映画『燃えるドレスを紡いで』(2024)に参加。
そして今年7月6日、別名義「.jvkn(ドットジュカン)」としてポップミュージックの世界へデビューを果たした。ノンバーバルな表現の世界は、異文化で生きてきた彼の人生において常になくてはならないものだったが、なぜこのタイミングで音楽活動を本格的にスタートするのか。
軽井沢のスタジオを訪ね、バックグラウンドからこれからの決意についてまで話を聞いた。
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友達をつくる唯一の手段としての表現
――美術に興味を持ったきっかけは?
シカゴで生まれてからアメリカ、カナダ、日本、オランダの4カ国を転々とするなかで、よく母親と美術館を訪れていたことが、美術との最初の出合いでした。いま思えば、自分も母親も英語がままならない状態だったので、しゃべらなくて済む場所は楽だったのかもしれない。あとは、やっぱりどこの国に行っても言語とカルチャーの壁は付きもので、相手とコミュニケーションをとる手段として、ノンバーバルな美術や音楽に助けられた経験は大きいですね。美術といっても、小学生なのでみんなが知ってるようなキャラクターを描いてみたり、音楽のコンテストで入賞する程度ですが、自分の感情もアウトプットしながら、友達をつくる手段にもなっていました。
――人とのコミュニケーションとして表現はなくてはならない存在だったと。
そうですね。ほかにも、5歳くらいからMacをおもちゃとして遊んでいた延長線上で、思春期まではインターネットの世界にも居場所を感じていました。もちろん子どもの頃は、フロッピーディスクを出し入れしてゲームで遊ぶくらいだったのですが、小学3年生頃からおばあちゃんに見せるために、描いた絵をスキャンしてフォトショップで簡単な合成を加えて遊んでいました。当時はお絵描き掲示板もあったので、ゲームのキャラクターのイラストを投稿していて、日本に一時帰国するタイミングなどに、インターネットで出会った友達に実際に会うこともありました。
――2000年代に小学生でフォトショップを使うのは、かなり早いですね。
小学5年生の頃には、自分のウェブサイトもつくりたくなって、姉の友人の慶應SFC生に教わることもありました。夏休み研究は、父親と秋葉原に行って自分のパソコンをつくったりしてましたね。あくまでも絵を描きたい、ゲームや音楽をつくりたいという子どもならではの好奇心がモチベーションでしたが、いま振り返ってみるとがっつりギークですね(笑)
――2017年にはAIを用いた作品制作をしていましたが、当時にしてはこれも早い試みでしたよね。直接的にツールとして使うというより、コンセプトとして取り入れている姿勢が印象的です。
大学時代に、インターネットの父といわれている村井純教授のゼミに入ったことが影響していると思います。彼はインターネットを使いながらも、人間や愛について語るような方です。たとえば1989年に光通信の先駆けとして、海底ケーブルを引くプロジェクトに携わっていて。地球の反対側にある日本とブラジルをつないで、坂本龍一さんとライブコンサートを開催したこともあるのですが、そこで光でさえも0.2秒のラグが生まれるということを初めて発見しました。ラグに対して研究として科学的命題で解決方法を考えるだけではなく、人間が大脳から手先に指令を出す0.2秒とまったく同じ速度であるという共通点にも興味を持つような方です。テクノロジーをあくまでもツールとして研究しつつ、哲学的に人間とのいい関係性も考えていく姿勢が刺激になりました。
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自分の原点である、「音楽」に向き合う
――その後、大学卒業後に会社員を経て、2017年にロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国王立芸術学院、以後RCA)へ。フォトグラフィーを専攻されていますが、どのようなきっかけで?
妻の第一子懐妊のタイミングで、人生を変えるならここが最後のチャンスかもと思い、会社員を辞めて家族と一緒に渡英しました。根本では音楽とインスタレーションが好きだったのですが、いざ自分が制作する側になると自信がなく、シンプルに写真を選びました。でも結局、入学してすぐに同級生のスキルの高さを実感してカメラを使わなくなり……。
その代わり、会社員時代にも研究していたAIを使った写真論を展開していきました。17年当時は、初めてGAN(敵対的生成ネットワーク)が発表されて数年の頃で、まだまだ社会的にAIはとらえどころのない不気味な存在でした。卒業制作作品では、AIを直接的にツールとして使うというより、そうした社会的なイメージも含めて、仮想と現実を織り交ぜた、なにを真実として時間や空間を捉えるか不明瞭となった世の中を霧のような世界にたとえて描いた映像作品、「To The Fog」を発表しました。
――その作品が、イギリスの若手アーティストの登竜門とされる「ニュー・コンテンポラリーズ 2021」にノミネートされたものですね。
そうですね。ノミネートされ、そのままイギリスにいることも考えたのですが、パンデミックが本格化したタイミングでもあったので、家族とともに帰国しました。帰国してからは、RCAで出会った友人と軽井沢の自然を活用した実験場「TŌGE(トウゲ)」を一緒につくったり、東京・根津のキュレイトリアルスペース「The 5th Floor(ザ・フィフス・フロア)」の立ち上げにも関わりました。「ザ・フィフス・フロア」の立ち上げは、日本に若手キュレーターが少ないという問題提起から始まり、意義を感じるプロジェクトではあったのですが、一方で、自分の制作やアーティストとしてのポジションに関して向き合う時間が少なくなってしまって。
そうした心境の変化もあり、「ザ・フィフス・フロア」は次の代に引き継ぎつつ、森山未來さんによる京都の清水寺境内を舞台にした没入型パフォーマンス『Re: Incarnation』に作曲として入ったことをきっかけに、どんどん自分の原点にあった音楽へ戻っていきました。
――「戻った」という感覚なんですね。
音楽は自分にとって大切すぎて、いままで作品として発表する自信がなかったんです。でも作曲の仕事に関わる機会が少しずつ増えると同時に、活動拠点である軽井沢の自然のダイナミックさを日々感じるなかで、徐々に気持ちが解きほぐされていきました。
――そうした経緯があって、新曲「Distant」のリリースを皮切りに「.jvkn(ドットジュカン)」という名義でポップミュージックデビューされたのですね。
そうです。やっと自分に覚悟ができたというか。今後は音楽を軸にしつつ、これまで関わってきた美術、自然、他分野を横断していくような活動をしていきたいと考えています。新曲「Distant」リリースと同日に公開したMVは、関根光才監督を迎えて金沢21世紀美術館で撮影したものです。9月には岡山で開催される「森の芸術祭、晴れの国・岡山」にもサウンドインスタレーションを発表する予定です。
――音楽を軸にしながらも、今後も一貫して領域を横断していくことには変わりがないと。
横断していくことは、意識的でありながら、どこか冒頭の幼少期の話から通じる無意識的なものなのかなと最近振り返るようになりました。言語も文化も混ざる環境にいたおかげで、いまでは自ずと境界線がなくなっていくような場所に居心地のよさを感じているのかもしれないです。その感覚は自分だけではなく、同じような境遇の方の共感や救いになるんじゃないかなと思っていて。今後も、周縁から少しはみ出てるくらいのバランスで音楽活動を広げていきたいです。
最新シングル「Distant」