【Penが選んだ、今月の音楽】
『エンプティ・ハンズ』
日本は世界でもまれなCD大国。それでもデジタル音楽配信の興隆には抗えず、タイラの『タイラ』やピンクパンサレスの『ヘヴン・ノウズ』といった昨年以降の世界的話題作ですら、国内盤リリースは見送られてきた。この8月、めでたく両作ともサマーソニック2024出演を機に国内盤化されたのだが、きっかけありきの国内盤発売には嬉しくも複雑な心境だと言わざるを得ない。
一方でこの8月は、2023年の傑作が特別なイベントもなく国内盤リリースされた月でもあった。数々の音楽通が昨年の年間ベスト作に挙げた、キンゴ・ハッラの『エンプティ・ハンズ』が未発表ボーナス・トラック1曲を加えて世界初CD化されたのだ。
カナダのトロントを拠点に、同郷のバッドバッドノットグッドなどとも創作活動をともにする日系アメリカ人シンガー・ソングライターでマルチ奏者のキンゴ・ハッラは、音楽家や俳優の兄弟をもつ芸能一家の生まれ。ジャズ・ギタリストのマイク・スターンや俳優キーラ・セジウィックの甥という血筋でもある。
というわけで『エンプティ・ハンズ』では、マイク・スターンの渋いギターも聴けるのだが、なんといっても魅力は、繊細なファルセット・ボイスで優しく歌う、フォーキー・ソウルやオルタナティヴR&Bの甘い調べだろう。聴くほどに夢見心地が味わえる、儚くも温かな逸品なのだ。
フォーク系シンガー・ソングライター然としたR&Bといえば、テリー・キャリアーやマイケル・キワヌーカなど新旧いろいろ思い浮かぶが、キンゴのサウンドは、ロマンティックかつナイーブな点で比類なきものだ。笑顔と涙が同時にあふれ出すような聴後感は唯一無二。アナログ機材による温もりのサウンドがその魅力をさらに拡張させる。
国内盤化を機にこの傑作が多くの胸に届くことを、切に願う。
※この記事はPen 2024年11月号より再編集した記事です。