お笑いコンビ・ナイツの代名詞ともいえる「言い間違え漫才」。ボケの塙宣之は、言い間違え漫才はYMOから生まれたという。そして、貪欲に新しさを求める細野晴臣の姿から、塙は進むべき道を学んだと語った。
音楽の地平を切り拓いてきた細野晴臣は、2024年に活動55周年を迎えた。ミュージシャンやクリエイターとの共作、共演、プロデュースといったこれまでの細野晴臣のコラボレーションに着目。さらに細野自身の独占インタビュー、菅田将暉とのスペシャル対談も収録。本人、そして影響を与え合った人々によって紡がれる言葉から、音楽の巨人の足跡をたどり、常に時代を刺激するクリエイションの核心に迫ろう。
『細野晴臣と仲間たち』
Pen 2024年1月号 ¥990(税込)
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細野晴臣さんはぼくにとって育ての親。神様みたいな存在だ。お小遣いを貯めて初めてCDを買ったのはYMOだった。テレビゲームのピコピコ音が好きだったからYMOの音は単純に気持ちよかった。ぼくは小学校の国語の授業が苦手で「作者の心情を述べよ」と聞かれても「それは作者に聞かなきゃわからない」と思っていたような子どもだった。みんなが歌謡曲を聴いて騒いでいても、恋愛経験がないから心に刺さらない。その点、YMOはインストゥルメンタルで歌詞がないからスッと入ってくる。言葉よりもリズムに惹かれたのかもしれない。
なにせYMOのキャッチコピーは「下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭クラクラ」だったのだ。学校の合唱で歌った安田成美の「風の谷のナウシカ」やイモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」など、細野さんがプロデュースした曲も好きで、その流れからはっぴいえんどを聴くようになった。中学・高校は佐賀で過ごしたが、音楽の話が合うやつは皆無だった。
大学を卒業後、芸人になって行き詰まった時期、10年ぶりにYMOを聴いたらやっぱり気持ちよさは変わらなかった。その時気づいたのは、自分で気持ちいいと思える漫才のリズムがつくれていなかったということ。過去の自分たちの漫才をVTRで見返してみると、テンポよく観客にウケているのはボソっと言ってポンって突っ込むところ。そこに感情を入れていわゆる漫才コンビみたいにやるとぼくらの場合は、どうしても嘘くさくなる。さらに分析してYMOみたいなカチカチ切り替わる漫才ができないかと考えたら、ひとつボケてひとつ突っ込むを繰り返す「言い間違え漫才」が出来上がった。途中でテンションが低くなったり急にヘンなこと言ったりするのは細野さんの音楽でいうところのハネ(音符を弾ませて演奏すること)のイメージ。相方の土屋の「突っ込み」と言うより「訂正」もちょうどはまった。細野さんはポーカーフェイスでテンションも低そうに見える。表情も変わらない。そういうところは、ぼくらも似ているのかもしれない。
ヤホー漫才とも呼ばれた言い間違え漫才は35歳くらいまで続けたが、歳を重ねるともう少しいまの自分らしい漫才をつくりたくなってくる。時事ネタを拾ってアレンジしたり、パーソナルな経験から生まれる漫才へシフトしていった。音楽にたとえるとテクノからジャズ寄りになっていくような。細野さんも街にあふれている音を拾ってきたりアフリカの民族音楽や沖縄民謡を取り入れたり、いろいろな音楽を聴いて自分の音楽に昇華させてきた。細野さんのライブを拝見すると、その時々のご自身に合ったリズムを演奏していて、すごく自然体だと感じる。
コラムに「細野さんの音楽に影響を受けている」と書いたのをきっかけにお付き合いさせてもらっている。細野さんがぼくのラジオ番組に出演してくれたり、ぼくが細野さんのライブで前説をやったり。「細野晴臣をヤホーで調べました。太野夏臣は……」「細野晴臣だろ」、「YMOのあの曲、歌詞忘れちゃったな」「歌詞ねえよ」とか結構ウケていた。
バラエティ番組ではぼくの登場に合わせて細野さんが名曲「インソムニア」をアレンジした出囃子をつくってくれるというサプライズも。寄席が好きだという細野さんの、三味線を使ったアレンジを聴いた瞬間、中学生の頃に布団の中でイヤホンを差して朝まで「インソムニア」を聴いていたこと、紆余曲折あって漫才師になり、ネタにさせてもらった内海桂子師匠のことなどがブワッと頭をよぎり、全部つながった気がした。
そもそもぼくらは漫才師を目指していたわけではなく、ただテレビで人気者になりたかっただけ。でもお笑い芸人としては華がないと言われ、パッとしなかった。そんな時に漫才協会に入り、地味でどうしようもない自分たちにとってここが生きる道だと思えたのだ。キラキラしたお笑いの世界で席を奪い合うのではなく、浅草の漫才を極めようと作戦を立てた。その結果2008年のM‐1グランプリでは決勝に進出することができた。YMOから生まれた言い間違え漫才。若い時から細野さんの音楽を聴いてきたぼくの原点が爆発した瞬間だった。
相方はほとんど音楽を聴かないし、いまもまわりで共通の音楽の話ができるやつは少ないが、最近新しい話し相手ができた。ある日近所のファミレスでじっとこっちを見てる店員がいて不審に思っていたら「塙さん、細野晴臣さんのファンですよね?」と話しかけられた。家も近いので仲良くなって細野さんの話で盛り上がっている。のちにその彼はムラバンクというバンドの土屋君であることが判明した。
音楽も漫才も、つまらなくなったらおしまい。自分が楽しいと思えなかったらおしまいだ。細野さんは一回やったことはあまりやりたがらない。ぼくらも毎日寄席でネタをやるが、「今日はこれを試したい」というモチベーションを大事にしている。ユーモアのパターンも音楽のパターンも無限にあるということを細野さんを通じて教えてもらった。商業的な場所にこだわらず俯瞰して仕事をしている細野さんはぼくにとって進むべき道を示してくれる人だ。個人的には漫才協会に入っていただきたいと思っているが、細野さん、どうでしょう?
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