【森山大道はなぜ「世界最古の写真」に惹かれたのか?】 フランス・パリで開催中、森山大道『写真へのラブレター』展が伝えていること

  • 写真・文:ジスマヌ・レベッカ(Pen International)
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写真家・森山大道が、半世紀近くにわたって魅了されてきた一枚の写真がある。1826年または27年にフランスのニセフォール・ニエプスが撮影し、現存する世界最古の写真とされる『ル・グラの窓からの眺め』だ。パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団で開催中の「写真へのラブレター」展は、この一枚と森山の長い関係を手がかりに、彼が写真というメディアそのものと向き合ってきた軌跡をたどる。

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『ル・グラの窓からの眺め』。フランスのニセフォール・ニエプスが1826年または27年に撮影した、現存する最古の写真。© Public domain

農家の建物の窓から、中庭を見下ろした風景。一見すると、特別なものには見えない。しかし、フランス人発明家ニセフォール・ニエプスが1826年または27年に撮影した『ル・グラの窓からの眺め』は、写真史における特別な一枚だ。現存する世界最古の写真とされるこの画像は、芸術作品をつくるというより、科学的な発明に近い実験の成果として生まれた。それでもなお、写真家を強く惹きつけてやまない。森山大道も1970年代半ばに雑誌でこの写真を知って以来、その魅力に取りつかれてきた。

写真というメディアの誕生から、まもなく200年。その原点を見つめ直すうえで、森山大道ほどふさわしい写真家もいないだろう。パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団では、10月4日まで「写真へのラブレター」を開催している。そこでは、常に写真というメディアそのものを問い続け、同時にその存在に敬意を払ってきた森山大道の、これまでとは少し違った一面を見ることができる。

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日々の撮影を支えた「かけがえのない道しるべ」

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「良い写真」のルールから自由になった森山大道は、ネガを焼却し、そのままの状態で発表することさえあった。森山大道、1969年『写真よさようなら』(1972年)より © Daido Moriyama Photo Foundation

森山大道といえば、1972年に刊行した写真集『写真よさようなら』で「写真に別れを告げた」ことでも知られている。そこでは、「良い写真」とは何かという既存のルールを解体し、ネガを焼却して、あえてそのままの状態で発表することさえ試みた。ピントが合わず、暗く、粒子が粗く、何が写っているのかもはっきりしない写真。それらは、従来の写真表現から大きく離れるものだった。

そして、森山が1970年代半ばに雑誌で出会った『ル・グラの窓からの眺め』にも、どこか通じるものがある。

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『サン・ルゥへの手紙』(1990年)で、森山大道は、記憶に刻まれているニエプスの『ル・グラの窓からの眺め』にオマージュを捧げている。© Daido Moriyama Photo Foundation

森山はそこから、写真というメディアにどのような可能性があるのかを探り始め、とりわけ自身の制作において重要な意味を持つプリントの手法を試していった。これは、写真の複製と普及に強い関心を持っていたニエプスとの共通点でもある。

1980年代、森山は東京の自宅の窓から見える風景を撮影するようになる。そして90年には、『サン・ルゥへの手紙』を発表。そこには、モノクロームで撮影された風景や抽象的な場面が収められている。一見すると、『ル・グラの窓からの眺め』とは何の関係もないように見える写真だ。

しかし、『ル・グラの窓からの眺め』は、森山の中にずっと残り続けていた。『サン・ルゥへの手紙』はニエプスに捧げられた、いわば一通のラブレターでもあった。

さらに森山は、『ル・グラの窓からの眺め』の複製写真を、80×100cmの額に入れてベッドの上に飾った。まるで一枚の聖像のように。その複製写真も、今回の展覧会で展示されている。

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森山大道の寝室。ベッドの上には「ル・グラの窓からの眺め」の複製写真が飾られている。森山はカメラの設定を確かめるため、毎日のようにこの写真を撮影していた。森山大道、池袋、2011年。『実験室からの眺め』(2013年)より © Daido Moriyama Photo Foundation

「彼にとっては、まさに絶対的なオブセッション(こだわり)なんです」

そう語るのは、パリのギャラリー「ポルカ」のフォトディレクターであり、同名の写真雑誌の編集長でもあるディミトリ・ベック。これまで森山大道の作品を何度も出版・展示してきたベックは、森山のことをよく知る人物のひとりだ。

「彼は寝る前にも、目を覚ましたときにも、その写真を見ていた。そして街に撮影に出る前には、カメラがちゃんと動くかどうかを確かめるためにも使っていた。まるで、かけがえのない道しるべのような存在だったんです。彼はその写真を何度も見つめ、撮影し、そこから自分自身の写真へとつなげていったのです」

森山大道は、『ル・グラの窓からの眺め』の複製を、時間帯によって変わるさまざまな光や色とともに、何百枚も撮影した。晴れた朝、額のガラスに映り込む空の淡い青。夕暮れが近づき、人工の光によって赤く染まる時間。35点の写真からなる今回の展示は、森山がこの写真とともに過ごした一日を、再構成するかのような展示になっている。

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森山大道が自室に飾っていた『ル・グラの窓からの眺め』の複製写真を撮影した35点の写真による展示。2026年7月、パリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団で開催された「写真へのラブレター」展の展示風景。photo by ジスマヌ・レベッカ

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写真が生まれた場所へ

森山がこの写真を実際に目にするまでには、長い年月が必要だった。

2008年、JALの機内誌『SKYWARD』から写真シリーズの依頼を受けた森山は、撮影場所を自由に選ぶことを許された。彼が選んだのは、サン=ルー=ド=ヴァレンヌだった。いわば写真の原点への巡礼である。

2013年に刊行された『実験室からの眺め』では、その旅で撮影した写真を旅の記録のようにまとめている。写真が始まった場所で、森山が見つめた風景だ。なかでも目を引くのが、『ル・グラの窓からの眺め』を自ら撮り直した一枚である。ニエプスが約200年前に立っていた、まさにその窓から撮影されたものだ。強いコントラストを持つモノクロームと、どこか謎めいた構図。開かれた二つの窓の向こうには、樹齢や時間の流れさえ感じさせない、豊かな木が立っている。

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サン=ルー=ド=ヴァレンヌを訪れた森山大道は、およそ200年前にニエプスが立っていた場所で、自らの『ル・グラの窓からの眺め』を撮影した。森山大道、サン=ルー=ド=ヴァレンヌ フランス。2008年『実験室からの眺め』(2013年)より © Daido Moriyama Photo Foundation

「日本の文化には、先人への敬意があります。最初の一歩を踏み出した人たちを尊敬し、その人たちを目印にしながら、その弟子たちが少しずつ自分自身も師になっていく」

ベックはそう続ける。

「でも、そこから自立していかなければならない。だからこそ、森山大道による『ル・グラの窓からの眺め』へのオマージュは素晴らしいんです。彼は単純に何かを再現しようとしているのではない。原点に戻り、そこから自分自身の道を歩もうとしているんです。結局のところ、誰が自分の師なのか、その人たちが自分に何を与えてくれたのかを知っているときほど、人は自由に自分自身でいられるのだと思います」

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「写真とは想い出である」

「写真へのラブレター」では、『SKYWARD』も展示されている。そこには森山大道の写真とともに、写真家自身が綴った文章が掲載されている。自身の写真について長く考え続けてきた森山が、写真というものについて記した文章だ。

そのなかで彼は、『ル・グラの窓からの眺め』が自身の写真にどのようなものをもたらしたのかについても語っている。

「その写真は、見るというよりも、むしろ感覚する、あるいは感応するといったほうがいいのかもしれない。そして、その一枚に感応するぼくは、瞬時に時・空を遡行して、1827年7月の、めくるめく光の只中に立ちつくしているかのような、奇妙な錯覚と、仕合わせなひと時を経験することができるのだ……。ぼくの一等シンプルな写真論は、『写真とは想い出である』のひと言である。ぼくはいま、あのサン・ルゥの館で、ニエプスと同じ窓辺を共有したことで、カメラマンとしての自らの在りようの片隅に、それとなく、ひとつの証しをもてたような気がしている。それはやはり、聖地サン・ルゥ・ド・ヴァレンヌの、降りそそぐ初夏の光の只中に、カメラと共に身を置いてきた空にほかならない」

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森山大道は、自らの写真の中に写真そのものを登場させる「メタ写真」ともいえる表現をたびたび用いている。ここでは、窓辺に吊るされたネガを撮影している。森山大道、渋谷、1964~1968年。『日本劇場写真帖』(1968年)より © Daido Moriyama

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写真そのものを問い続けて

「写真へのラブレター」には、同名の書籍もあわせて刊行されている。そこでは、森山大道が写真について書いた22本の文章が、初めてフランス語に翻訳された。 

展示を見ていくと、森山が被写体だけでなく、「写真とは何か」という問いそのものを繰り返し作品に取り込んできたことが見えてくる。写真の中に写真そのものを登場させる、いわば「メタ写真」ともいえる表現だ。

フランスの観客にとって、この知られざる一面は、森山大道を単なる「ストリートフォトグラファー」として捉える見方を超えるきっかけになる。そして、写真史のなかで森山大道が築いてきた場所の大きさを、あらためて感じさせてくれる。

「彼自身が、すでに『巨匠』の側にいるんです」

ベックはそう結論づける。

「森山大道は、誰かが示した道をそのまま歩んできたのではなく、自分自身の力で、厳密に、そして時には執拗なまでに、自分の道を切り拓いてきました。彼の文章からは、写真をめぐって彼がこれまで重ねてきた多くの知的な対話も伝わってきます。彼にとって写真は、決して単なる気晴らしではありません。世界の中にどう存在するのか、そのあり方そのものなんです。そこには深いまなざしがあります。間違いなく、20世紀を代表する偉大な写真家のひとりです」

サン=ルー=ド=ヴァレンヌへの旅を終えた森山は、2015年、テキサス州オースティンへ向かった。そこには、『ル・グラの窓からの眺め』のオリジナルの感光板が保存されている。森山はここでも、旅の記録のようにその道のりを撮影した。何年も前に始まった巡礼は、ここでひとつの頂点を迎える。

そして、森山と同じように写真誕生の場所を訪れてみたい人にとって、ひとつの特別な機会が近づいている。『ル・グラの窓からの眺め』が、まもなく生まれ故郷へと戻ってくるのだ。

2027年4月末から6月末まで、この写真は初めてフランス国内で、ブルゴーニュ地方のシャロン=シュル=ソーヌにあるニエプスの名を冠した美術館で展示される予定だ。

現存する世界最古の写真を、自らの目で見ることのできる貴重な機会だ。そしてそこから足を延ばせば、森山がそうしたように、ニエプスが約200年前に立ったあの窓から風景を眺めることもできる。

写真が始まった場所に立ち、200年前にニエプスが見た光景と向き合う。そのとき私たちは、写真とは何なのか、そして一枚の写真が時間と空間を越えて何を残すことができるのかを、あらためて考えることになるのかもしれない。

Daido Moriyama
Love Letters to Photography

開催期間:〜2026年10月4日(日)
開催場所:アンリ・カルティエ=ブレッソン財団79, rue des Archives 75003 Paris
開館時間:11時~19 ※入館は18時20分まで
休館日:月(9/24、11/19は開館)
観覧料:一般10ユーロ 他
www.henricartierbresson.org